Bigbeat 2022.10.11 「BtoB広告ってなあに?」から始まった私たちの10年間
「世の中は空気と窒素と広告でできている」
とある広告代理店のとある社長が新卒向けの会社説明会で言ったこの言葉に、
「酸素と窒素と広告のそれぞれの割合は?」と真面目な顔で質問した学生がいました。
それが私、と言いたいところですがバリバリの文系な私はそんなことは頭の端につゆほどもよぎらず、
手を挙げて颯爽と質問をしたのはグループワークで同じチームになった、私の隣に座る見るからに頭の切れそうな賢そうな女子学生でした。
堂々と、自分の疑問を一企業の社長に向けて大勢の人の前で質問するその姿に、世の中にはこんなにものおじせずに自分をアピールできる人間がいるんだと驚いたのを覚えています。
そんな賢そうな人ではなく、横でぼけっと聞いていた私を採用したその広告代理店。ずいぶん酔狂だなあと入社から11年たった今、改めて感謝と共に思うのです。
2011年、未曾有の大震災があった年、私たちは就活の真っ只中にいました。
色々な企業が採用活用をストップし、就活生の多くは内定取り消しや面接途中での取りやめなどに翻弄されていました。
世の中は自粛ムード一色。テレビをつけても、流れてくるのはACのCMばかり。
その時になって初めて、広告やCMなど“なくても世の中は回るし困らないもの”が自分たちの生活に彩りを与えていてくれたことを感じました。
それを目の当たりにし、改めて「なにかを表現する仕事」をしたいとぼんやり思っていた私の就職活動の目標が、「広告の仕事」に定まりました。
そこで出会ったのが、ビッグビートという会社でした。
正直、“BtoBの広告”と言われても当時学生だった私にはあまりピンときません。
それでも、「世の中は空気と窒素と広告でできている」というとある社長こと濱口社長の言葉にはとても共感したことを覚えています。
広告がなくても世の中はまわるし誰も傷つかない。でも広告がない世の中は少しだけ物足りなくて、面白くない。ということを、まさにその時体感していたからです。
同じくその会社説明会を経て入社した同期は私も含めて5名でした。
そのうち2名は別の道に進むことを選び、もう2名は今も一緒に働いています。
※2012年度の入社式、ここから私たちの10年間がはじまりました
「田舎に自慢できる仕事がしたい!」が口癖のちゃらんぽらんしていたO君は、今では最年少マネージャーとしてチームメンバーを引っ張りながら、まさに有言実行、田舎に自慢できるような広告の仕事を次々と受注し、名実ともに(?)自身の思う「かっこよく働く!」を体現しています。
ぶっきらぼうでめったに笑わない男M君は、ビッグビート史上最高売り上げを達成し、前期MVPに輝きました。つかみどころのない性格で決して愛想がよいとは言えないですが、努力家でだれよりもクライアントのことを考え行動する彼のファンは社内外でも多くいるとの噂です。
気付けば10年、彼らと働いてきました。お世辞にも仲が良いとは言えない私たち3人。
喧嘩は数知れず、飲みに行った回数は片手で足りるほど。
性格も仕事に対する姿勢も想いも全く違う私たち、同期だけで話をすることは滅多にありませんが
機会があれば必ず話題になるのが、前述の企業説明会の話です。
ビッグビートには『マカナイメシ』という文化があります。ビッグビートにおけるクライアント案件以外で社内団結して取り組むすべてのもの、例えば社内向けの行事やイベントなどを『マカナイメシ』と呼んでいます。(詳細はこちら)
私たちが入社した頃、新卒向けの説明会も『マカナイメシ』の一環でした。
真っ黒いリクルートスーツを着て、黒い髪の毛を同じようにくくり、緊張して説明会のはじまりを待つ会場に流れたのは、大音量の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」。西城秀樹もびっくりのハイテンションでタオルを振り回しながら現れたのは、当時1、2年目のビッグビートの先輩方でした。
圧倒されている私たちの気持ちなんて置いてけぼりで始まったその説明会は、今までの企業説明会の概念をかんたんにひっくり返しました。
全力で私たち就活生を楽しませようとする社員。社長のオモイ。そして“広告”という仕事を語る熱量。
※2011会社説明会ではじめて会った時の濱口社長。(このブレた写真からも会場の熱気が伝わりますね!(?))
それを目の当たりにし、この会社を選んだ私たち3人の原点はきっと10年経った今もそこにあるのだと思っています。
誰かに熱量高く語れる仕事、自分自身で誇れる仕事、かっこいいと胸を張れる仕事、世の中に必要だと言い切れる仕事。そんな仕事をしたくて、酸素と窒素と広告で出来ている世の中を見たくて、選んだこの「広告」という仕事。
この10年で人もビジネスのかたちも働き方もずいぶんと変わりました。同期たちはそれぞれの得意とする場所で自分の居場所をつくっています。
そんな中でもちろん私自身にも大きな変化がありました。あのころ、リクルートスーツを着て、面接で「どうしてもここで働きたいんです!」と泣いた世間知らずの22歳の若者だった私は、7年の営業時代を経て、結婚出産を経験し、昨年何年かぶりに仕事に復帰しました。
面接で泣いたのは、あとにも先にも私だけなのではないでしょうか(笑)
プライベートでは2児の母である私が、世の中の“広告”を意識する瞬間は以前よりも格段に増えました。
「あれはなあに?」「これはなあに?」「これがほしい」「あれたべたい」「あそこにいきたい」
小さな彼らの視点には、広告やCMの世界はまだまだ自分たちの知らない未知なる楽しさにあふれた世界のようです。
何年振りかに職場に復帰し、改めて広告に触れた私を待っていたのもまさに同じ世界でした。
久しぶりに出た社会は、働き方もビジネスの在り方も大きく変わり、「あれなあに?」であふれていました。
知らないことを知ること、世の中の動きを知ること、そしてその世の中の動きを同じように知らない誰かに届けていくこと、それが“広告”のもつ役割であり、私たちの仕事だと改めて思います。
たくさんの広告が、たくさんの「あれなあに?」を生み出して、その興味関心がまた次の世界を動かす原動力になっていく。だからこそ、「世の中は酸素と窒素と広告でできている」んですよね?社長。
11年目の今思い出すのはたくさんの失敗とハードな仕事の日々。
それでも、またこの場所で仕事がしたい、と思えたほどには私は「広告の仕事」が気に入っているのです。
「本当にやれるのか?大丈夫か?」
と入社前何度も聞かれたことを今でも思い出します。あのときの濱口社長に言いたい。
「10年経ちましたが、なんとかやれています。広告の仕事はおもしろい、だから私は今“ここ”にいます」
執筆 小塚
※入社当初。恥ずかしいので小さめに。今ではだいぶ貫禄がましました。