BigbeatLIVE 2025.05.27 It’s my life ー 我が人生 “Chance,Change & Challenge” | INDUSTRIAL-X 八子さん
2025年8月1日に開催される「Bigbeat LIVE 2025」。
“らしさ”というキーワードを軸に「経営」「グローバル・ASEAN」「コミュニティ」「働き方と選ばれ方」というテーマでセッションを展開します。「経営」では、「産業構造を変革する」をコピーに事業を展開するINDUSTRIAL-X 代表取締役CEOの八子 知礼さんがセッションホストとして登壇。
現在に至る道程には、常に「変化」と「挑戦」があったという八子さんに、ビッグビート 取締役 営業部長の大滝 達郎が「変化と挑戦」の源泉がどのようにして誕生したのか伺いました。
早速ですが、八子さんは子どものころから「神童」と呼ばれ、その後は広島大学工学部に進まれたそうですが、やはり理数系が得意だったんですか。
八子 知礼(八子)さん:
正直にいうと文系のほうが得意でした。高校の時の物理と化学の先生に感銘を受けたことと、半導体の研究をしていた父親の影響で理系を選んだのです。制御工学が専門だったのですが、私は当時から「これからはソフトの時代だ」と考えていました。
大学院では、よりプログラミングに近い分野を追求したいと研究室を変えたのですが、そこで与えられたテーマが「単細胞の人工生命モデル」をコンピュータ上でシミュレーションすることだったんです。

株式会社INDUSTRIAL-X 代表取締役CEO 八子 知礼さん
変化への対応という意味では、その経験が1つのキーポイントだったと思います。単細胞生物のモデルを作成し、どれが生き残るかをコンピュータ上でシミュレーションするのは当時世界でも初めての試みでした。私自身が当初から望んだ取り組みではないですが、教授から研究テーマを紹介いただき、「そういう機会があるのなら、挑戦してみるしかない」という感じでした。
単細胞の人工生命モデルをシミュレーションすると、ダーウィンの進化論と同じように、変化に対応した種だけが生き残ることが再現されました。その示唆から、あらためて環境変化に対して、自分だけが変わらないなんて生き残るためにはあり得ない選択肢だと考えました。
すでに学生時代から「変化と挑戦」の根幹が形成されていたわけですね。その後、新卒で松下電工に入社され、5年経たずしてコンサルティングファームに転職されていますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
八子さん:
もともと「3年から5年で次のステージに行くぞ」と決めていましたし、実は私の世代は3〜5年で退職した人が50人近くいました。当時知り合った同い年のベンチャー社長が死に物狂いで倒れるほど働いていてキラキラした表情をしているのを見て衝撃を受けました。私は「このとてもよい松下電工という会社にいては、自分の能力を限界まで引き出せないな」と思いました。
転職活動時は、事業会社への転職、ITコンサルティング、一般コンサルティングと3つの道を考えていたのですが、最もハードルが高かったのが一般コンサルティングへの転身でした。
大滝:
その後も投資ファンド、デロイトトーマツコンサルティング、シスコシステムズなどキャリアを重ねていくなかで、八子さんの価値観に起こった変化はどのようなものだったのでしょうか。
八子さん:
コンサルティングファームの後は投資ファンドで企業再生を担うことになるのですが、ここで軽度のうつを発症するほどの状況に陥ったのです。現場で企業再生に向けて頑張っていましたが、ファンドはお金を出さず、再生先企業スタッフのモチベーションも下がったまんま、私への反発が強く意見も聞いてくれないという状況で、結果的にファンドを去る選択をしました。あの時に私は「産業の構造を変える」という現場から逃げたわけです。その自戒と認識は今も変わっていません。
その後、デロイトにはシニアマネジャーとして入社しました。2009年にパートナーへのノミネーションを受けるのですが落選してしまい、これからどうするか逡巡していたところ、複数の会社から役員や社長のオファーをいただいたんです。どうしようかと思っていたら、「八子さんはベンチャーや社長業の実際のところを知らないですよね」と言われ、「そうだ、確かに自分は経営現場を知らないぞ」と気が付きました。そこで、現場の最前線の方々から学ぶため、積極的に会合や交流会に参加したんです。結果的に1年間で1,500人とお会いさせていただきました。
WEBメディアに「八子・モバイルクラウド研究所」を執筆する機会を得たのもその時期です。Twitter(現X)を紹介されてのめり込んでいたのも同時期で、Twitterで自分のビジネスや知見を発信していきました。今振り返ってみると、その行動が後々だんだん自分のブランドに繋がってゆくのです。
大滝:
確かにこの年代から、八子さんの実績や知見がオープンに出てくることで、“クラウドの八子さん”“ミスターIoT"など、様々な八子さんを表現するタグが散見されました。
八子さん:
「オープンでなければならない」という考えも、デロイト在籍時代にいろいろな会社のビジネスモデルを書いている中で「クローズドなアプローチでは、大きく発展していかない」ということに気付いたからです。多くのコンサル会社は当時はかなりクローズドでしたから、私のような情報発信をする人間がレアケースだったわけです。
発展しているエコシステムやプラットフォームは基本的にオープンです。そしてオープンということは、企業の中にずっと閉じこもっていては駄目ということ。マーケットに対して貢献できる存在でないとオープンとは言えません。だから“クラウドの八子”時代も、本業の宣伝よりもむしろ「業界全体の底上げのためにいかに啓蒙活動するか」というところに注力していました。
その後はウフルIoTイノベーションセンターを経て2019年に現在のINDUSTRIAL-Xを創業するわけですね。ここに至るまでの経緯はどのようなものだったのですか。
八子さん:
正直言うと、自分が起業するとは思っていませんでした。後押ししてくれたのは、当社役員の1人です。
かつて「1年間に1,500人の人と会った」という年に、社長業がどれほど大変なのかは見てきましたが、私は実際に社長業や経営を経験したことはありません。ですが、大学時代から「これまでまったく経験したことがない分野」にチャレンジしてきたんです。また、コンサルティングファーム時代に「Change (チェンジ) & Challenge (チャレンジ)」というキーワードを好んでよく使っていました。まさに変化と挑戦ですね。
実はこの「変化と挑戦」の前には「Chance (チャンス)」があるんです。チャンスがあり、そのチャンスに対してチャレンジしたものだけがチェンジするんですよね。そのチャンスを生かせない人には、結局チェンジは訪れません。私にはチャンスがあった。だからチャレンジするべきだと思ったんです。
チェンジしないということは、大学院時代の単細胞の人工生命シミュレーションでわかったように「廃れていくだけ」です。つまりチェンジとは生き残るための必須要件であって、チャンスがあるならチャレンジしなければならないのです。
私が日本のオールドスタイルの企業に対して一番失望しているのが、「チャンスがあるのにチャレンジしない」ということなんです。それが「産業を変革したい」という思いです。
これからの八子さん、そしてINDUSTRIAL-Xはどのように変化していくのでしょうか。
八子さん:
変えていくべきところと、変えなくていいところがあると思います。変えなくていいのは哲学や生き方など本質的なところ。一方で、環境変化に合わせて変えるべきところもあります。その二律背反でバランスを取るのがこだわりで、毎年出しているスローガンも異なる意味を1つにした造語を作っているんです。フィリップ・マーロウも「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」と言っていますが、まさにそんな感じです。
2025年のスローガンは「瞬親」で、「瞬間的に親しみを実現すること」です。そんなことは人たらしでないとできません。でもお客様との信頼関係を一瞬で作るためには何が必要なのか、一人ひとりが考えて実行することで何か変化が生まれる可能性があります。
大滝:
私は八子さんが話された「瞬親」という言葉にすごく響くものを感じました。というのは、私たちのビジネスと通じる性質があるからです。
私たちビッグビートは「BtoBの広告代理店」と一言で説明できますが、それを理解していただくには時間がかかります。
とすると、すぐに理解していただくためには、その人の素養や立ち居振る舞い、信頼できるかという点が問われます。プロダクトやサービスが直感的にわかりやすければ、その要素はそこまで必要ないかもしれません。しかし複雑なものを伝えようとすれば、八子さんがおっしゃる「バランス」はやはり大事になると思いました。

八子さん:
そのお話でいえば、実は私たちも設立して6年が経ち、1つの岐路を迎えているのです。もう一度本当にやるべきことを見つめ直すために、ここからさらに本質を追求したいと考えています。
大滝:
最後にBigbeat LIVE 2025へ参加する方へのメッセージをお願いできればと思います。
八子さん:
「らしさ」って、逆説的かもしれないですが、後にならないと気づかない部分があると思っています。悩んだ時期を振り返ると、「らしさ」を軸に決めたように思うかもしれない。だけど、実際はチャンスを掴んで「チャレンジ」したこと自体が「チェンジ」に変わり、そのチェンジが自分の中で馴染んでくると、実はそれが「らしさ」になっているんです。
むしろ、チャンスがあるのに「これは今の自分にとって『らしく』ないから」って言って掴まないと何も変わらない。かといって、チェンジを焦るあまりに順番が逆になってはいけない。チェンジを焦り、いろんなことに手を出しまくってしまうと、やっぱりそれは「らしさ」を失うと思いますね。
大滝:
そこでのチャレンジっていうものが、ちょっと限定的になってしまう可能性も帯びていますよね。
八子さん:
逆説的ではありますけどね。私たちの会社もチェンジを急ぎすぎて逆に「らしさ」が見えづらくなったという痛い経験を負いました。チェンジを急ぐほど、らしくないことに手を出してしまうんです。これはおそらく個人のキャリアでも本質的には変わらない話だと思います。

大滝:
おっしゃるとおりですね。私たちビッグビートは、八子さんがおっしゃっていた、「こだわりすぎると、チャンスを逃してしまう」という文脈を社内で使うことが多いんです。自分が近視眼的になっていると、目の前にあるチャンスや幸運がすり抜けてしまいますよね。
私自身、社会人20年目になり、なんとなく物事がわかってきたような気がして、「これはリスキーだな」「これは楽勝だ」というように利己的な判断に陥って、それで逆にチャンスを逃してしまっている感覚があります。八子さんは「Chance (チャンス)とChange (チェンジ) と Challenge (チャレンジ)」とお話しされましたが、まさにそのバランスが大切だと思いますし、その核心部分が来場者の方々に届くといいなと思います。
八子さん:
キャリアが長くなると、過去の経験があるゆえに「失敗したからやらないほうがいい」と判断して、チャンスを逃してしまうことがありますよね。
でもその時に考えてほしいことは、「過去と現在は違う」ということです。過去と比べて経験値が増えているのだから、実力も上がっているので、「チャレンジしてみればいいではないか」と。
私の場合は、かつて投資ファンドで「企業再生案件から逃げた」ことがありました。今は企業再生と少し違うものの、「産業構造を変革する」というど真ん中の理念を掲げています。つまり、もう逃げられないんです。
大滝:
まさにそこは八子さんにとって最大のチャレンジですね。
八子さん:
そうですね。もう1つ、パーソナルなチャレンジがあるとすればこの会社を自分の手元から手放す時ですね。自分が引退する、誰かの手に渡る、誰かが代わりに経営をする、いろんなパターンがありますけど、その時にどれだけ「やりきった」と言えるのか、それとも言えないのか、まだわかりません。この会社に対してだけでなく、マーケットに対してどれだけ貢献できたのか、インパクトを残せたのかをもって、おそらく決まるのだと思います。
大滝:
それが八子さんの評価になるわけですね。改めて、今日はエキサイティングなお話をありがとうございました。

撮影:篠部 雅貴
執筆:岩崎 史絵
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“らしさ”というキーワードを軸に「経営」「グローバル・ASEAN」「コミュニティ」「働き方と選ばれ方」というテーマでセッションを展開します。「経営」では、「産業構造を変革する」をコピーに事業を展開するINDUSTRIAL-X 代表取締役CEOの八子 知礼さんがセッションホストとして登壇。
現在に至る道程には、常に「変化」と「挑戦」があったという八子さんに、ビッグビート 取締役 営業部長の大滝 達郎が「変化と挑戦」の源泉がどのようにして誕生したのか伺いました。
変化に対応した種だけが生き残れる
大滝 達郎(大滝):早速ですが、八子さんは子どものころから「神童」と呼ばれ、その後は広島大学工学部に進まれたそうですが、やはり理数系が得意だったんですか。
八子 知礼(八子)さん:
正直にいうと文系のほうが得意でした。高校の時の物理と化学の先生に感銘を受けたことと、半導体の研究をしていた父親の影響で理系を選んだのです。制御工学が専門だったのですが、私は当時から「これからはソフトの時代だ」と考えていました。
大学院では、よりプログラミングに近い分野を追求したいと研究室を変えたのですが、そこで与えられたテーマが「単細胞の人工生命モデル」をコンピュータ上でシミュレーションすることだったんです。

株式会社INDUSTRIAL-X 代表取締役CEO 八子 知礼さん
変化への対応という意味では、その経験が1つのキーポイントだったと思います。単細胞生物のモデルを作成し、どれが生き残るかをコンピュータ上でシミュレーションするのは当時世界でも初めての試みでした。私自身が当初から望んだ取り組みではないですが、教授から研究テーマを紹介いただき、「そういう機会があるのなら、挑戦してみるしかない」という感じでした。
単細胞の人工生命モデルをシミュレーションすると、ダーウィンの進化論と同じように、変化に対応した種だけが生き残ることが再現されました。その示唆から、あらためて環境変化に対して、自分だけが変わらないなんて生き残るためにはあり得ない選択肢だと考えました。
キャリアの挫折と業界に貢献するオープンな存在へ
大滝:すでに学生時代から「変化と挑戦」の根幹が形成されていたわけですね。その後、新卒で松下電工に入社され、5年経たずしてコンサルティングファームに転職されていますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。
八子さん:
もともと「3年から5年で次のステージに行くぞ」と決めていましたし、実は私の世代は3〜5年で退職した人が50人近くいました。当時知り合った同い年のベンチャー社長が死に物狂いで倒れるほど働いていてキラキラした表情をしているのを見て衝撃を受けました。私は「このとてもよい松下電工という会社にいては、自分の能力を限界まで引き出せないな」と思いました。
転職活動時は、事業会社への転職、ITコンサルティング、一般コンサルティングと3つの道を考えていたのですが、最もハードルが高かったのが一般コンサルティングへの転身でした。
大滝:
その後も投資ファンド、デロイトトーマツコンサルティング、シスコシステムズなどキャリアを重ねていくなかで、八子さんの価値観に起こった変化はどのようなものだったのでしょうか。
八子さん:
コンサルティングファームの後は投資ファンドで企業再生を担うことになるのですが、ここで軽度のうつを発症するほどの状況に陥ったのです。現場で企業再生に向けて頑張っていましたが、ファンドはお金を出さず、再生先企業スタッフのモチベーションも下がったまんま、私への反発が強く意見も聞いてくれないという状況で、結果的にファンドを去る選択をしました。あの時に私は「産業の構造を変える」という現場から逃げたわけです。その自戒と認識は今も変わっていません。
その後、デロイトにはシニアマネジャーとして入社しました。2009年にパートナーへのノミネーションを受けるのですが落選してしまい、これからどうするか逡巡していたところ、複数の会社から役員や社長のオファーをいただいたんです。どうしようかと思っていたら、「八子さんはベンチャーや社長業の実際のところを知らないですよね」と言われ、「そうだ、確かに自分は経営現場を知らないぞ」と気が付きました。そこで、現場の最前線の方々から学ぶため、積極的に会合や交流会に参加したんです。結果的に1年間で1,500人とお会いさせていただきました。
WEBメディアに「八子・モバイルクラウド研究所」を執筆する機会を得たのもその時期です。Twitter(現X)を紹介されてのめり込んでいたのも同時期で、Twitterで自分のビジネスや知見を発信していきました。今振り返ってみると、その行動が後々だんだん自分のブランドに繋がってゆくのです。

大滝:
確かにこの年代から、八子さんの実績や知見がオープンに出てくることで、“クラウドの八子さん”“ミスターIoT"など、様々な八子さんを表現するタグが散見されました。
八子さん:
「オープンでなければならない」という考えも、デロイト在籍時代にいろいろな会社のビジネスモデルを書いている中で「クローズドなアプローチでは、大きく発展していかない」ということに気付いたからです。多くのコンサル会社は当時はかなりクローズドでしたから、私のような情報発信をする人間がレアケースだったわけです。
発展しているエコシステムやプラットフォームは基本的にオープンです。そしてオープンということは、企業の中にずっと閉じこもっていては駄目ということ。マーケットに対して貢献できる存在でないとオープンとは言えません。だから“クラウドの八子”時代も、本業の宣伝よりもむしろ「業界全体の底上げのためにいかに啓蒙活動するか」というところに注力していました。
「変化と挑戦」を起こすために必要なもの
大滝:その後はウフルIoTイノベーションセンターを経て2019年に現在のINDUSTRIAL-Xを創業するわけですね。ここに至るまでの経緯はどのようなものだったのですか。
八子さん:
正直言うと、自分が起業するとは思っていませんでした。後押ししてくれたのは、当社役員の1人です。

かつて「1年間に1,500人の人と会った」という年に、社長業がどれほど大変なのかは見てきましたが、私は実際に社長業や経営を経験したことはありません。ですが、大学時代から「これまでまったく経験したことがない分野」にチャレンジしてきたんです。また、コンサルティングファーム時代に「Change (チェンジ) & Challenge (チャレンジ)」というキーワードを好んでよく使っていました。まさに変化と挑戦ですね。
実はこの「変化と挑戦」の前には「Chance (チャンス)」があるんです。チャンスがあり、そのチャンスに対してチャレンジしたものだけがチェンジするんですよね。そのチャンスを生かせない人には、結局チェンジは訪れません。私にはチャンスがあった。だからチャレンジするべきだと思ったんです。
チェンジしないということは、大学院時代の単細胞の人工生命シミュレーションでわかったように「廃れていくだけ」です。つまりチェンジとは生き残るための必須要件であって、チャンスがあるならチャレンジしなければならないのです。
私が日本のオールドスタイルの企業に対して一番失望しているのが、「チャンスがあるのにチャレンジしない」ということなんです。それが「産業を変革したい」という思いです。
“らしさ”とは、振り返って初めて見えるもの
大滝:これからの八子さん、そしてINDUSTRIAL-Xはどのように変化していくのでしょうか。
八子さん:
変えていくべきところと、変えなくていいところがあると思います。変えなくていいのは哲学や生き方など本質的なところ。一方で、環境変化に合わせて変えるべきところもあります。その二律背反でバランスを取るのがこだわりで、毎年出しているスローガンも異なる意味を1つにした造語を作っているんです。フィリップ・マーロウも「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」と言っていますが、まさにそんな感じです。
2025年のスローガンは「瞬親」で、「瞬間的に親しみを実現すること」です。そんなことは人たらしでないとできません。でもお客様との信頼関係を一瞬で作るためには何が必要なのか、一人ひとりが考えて実行することで何か変化が生まれる可能性があります。
大滝:
私は八子さんが話された「瞬親」という言葉にすごく響くものを感じました。というのは、私たちのビジネスと通じる性質があるからです。
私たちビッグビートは「BtoBの広告代理店」と一言で説明できますが、それを理解していただくには時間がかかります。
とすると、すぐに理解していただくためには、その人の素養や立ち居振る舞い、信頼できるかという点が問われます。プロダクトやサービスが直感的にわかりやすければ、その要素はそこまで必要ないかもしれません。しかし複雑なものを伝えようとすれば、八子さんがおっしゃる「バランス」はやはり大事になると思いました。

八子さん:
そのお話でいえば、実は私たちも設立して6年が経ち、1つの岐路を迎えているのです。もう一度本当にやるべきことを見つめ直すために、ここからさらに本質を追求したいと考えています。
大滝:
最後にBigbeat LIVE 2025へ参加する方へのメッセージをお願いできればと思います。
八子さん:
「らしさ」って、逆説的かもしれないですが、後にならないと気づかない部分があると思っています。悩んだ時期を振り返ると、「らしさ」を軸に決めたように思うかもしれない。だけど、実際はチャンスを掴んで「チャレンジ」したこと自体が「チェンジ」に変わり、そのチェンジが自分の中で馴染んでくると、実はそれが「らしさ」になっているんです。
むしろ、チャンスがあるのに「これは今の自分にとって『らしく』ないから」って言って掴まないと何も変わらない。かといって、チェンジを焦るあまりに順番が逆になってはいけない。チェンジを焦り、いろんなことに手を出しまくってしまうと、やっぱりそれは「らしさ」を失うと思いますね。
大滝:
そこでのチャレンジっていうものが、ちょっと限定的になってしまう可能性も帯びていますよね。
八子さん:
逆説的ではありますけどね。私たちの会社もチェンジを急ぎすぎて逆に「らしさ」が見えづらくなったという痛い経験を負いました。チェンジを急ぐほど、らしくないことに手を出してしまうんです。これはおそらく個人のキャリアでも本質的には変わらない話だと思います。

大滝:
おっしゃるとおりですね。私たちビッグビートは、八子さんがおっしゃっていた、「こだわりすぎると、チャンスを逃してしまう」という文脈を社内で使うことが多いんです。自分が近視眼的になっていると、目の前にあるチャンスや幸運がすり抜けてしまいますよね。
私自身、社会人20年目になり、なんとなく物事がわかってきたような気がして、「これはリスキーだな」「これは楽勝だ」というように利己的な判断に陥って、それで逆にチャンスを逃してしまっている感覚があります。八子さんは「Chance (チャンス)とChange (チェンジ) と Challenge (チャレンジ)」とお話しされましたが、まさにそのバランスが大切だと思いますし、その核心部分が来場者の方々に届くといいなと思います。
八子さん:
キャリアが長くなると、過去の経験があるゆえに「失敗したからやらないほうがいい」と判断して、チャンスを逃してしまうことがありますよね。
でもその時に考えてほしいことは、「過去と現在は違う」ということです。過去と比べて経験値が増えているのだから、実力も上がっているので、「チャレンジしてみればいいではないか」と。
私の場合は、かつて投資ファンドで「企業再生案件から逃げた」ことがありました。今は企業再生と少し違うものの、「産業構造を変革する」というど真ん中の理念を掲げています。つまり、もう逃げられないんです。
大滝:
まさにそこは八子さんにとって最大のチャレンジですね。
八子さん:
そうですね。もう1つ、パーソナルなチャレンジがあるとすればこの会社を自分の手元から手放す時ですね。自分が引退する、誰かの手に渡る、誰かが代わりに経営をする、いろんなパターンがありますけど、その時にどれだけ「やりきった」と言えるのか、それとも言えないのか、まだわかりません。この会社に対してだけでなく、マーケットに対してどれだけ貢献できたのか、インパクトを残せたのかをもって、おそらく決まるのだと思います。
大滝:
それが八子さんの評価になるわけですね。改めて、今日はエキサイティングなお話をありがとうございました。

撮影:篠部 雅貴
執筆:岩崎 史絵
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