デザイン 2020.06.16 マーケティングとデザインで未来を変える〜25周年特別企画・第4章 尾﨑元高知県知事との対談〜

“まるごと高知” はマーケティング × デザインの象徴か

元高知県知事・尾﨑正直さんとの対談を通して、あらためてマーケティングとデザインの意義について考えを深めてくることができました。

少しさかのぼりますが、私が尾﨑さんとの対談を実現するまでに、私の中ではある想いが強くなっていました。
これからの時代、マーケティングやデザインの考え方は企業だけではなく、国づくり・街づくりにもより一層求められるようになるだろうということ。

そのうえで、人々の未来を政治の側面から支えていく責務を真っ向から背負った、行政の首長・トップリーダーたちがどう考えているのかを聞きたいと思ったのです。

故郷の高知で、幸いにもかつて同じ中学・高校に通っていたというご縁もあり、厚かましくも私が一方的にラブコールを送っていたところ、尾﨑さんに快く受け入れていただいて、この対談は実現しました。

今回は、高知県のマーケティングやデザイン、尾﨑さんの進められた取り組みについて、お話を伺った内容を記そうと思います。

*本記事には、対談の模様を収めた動画を埋め込んでおります。
対談動画の全編はこちら

 

故郷の経済が直面する課題



尾﨑さんは高知県高知市に生まれ、1991年に当時の大蔵省へ入省して以降、長く国の行政に携わってきました。2006年より内閣官房副長官秘書官に着任されたのですが、その翌年に転機が訪れ、県知事という非常に責任ある立場から、高知県の県政に関わることになりました。

尾﨑さんは「当時、“全国の有効求人倍率が1を超えた” との情報が入り、それまでの経済停滞期を脱却して、世の中が少し明るくなる兆しを感じていました。しかしそのすぐ後、高知県議会の議長の方から “高知県の有効求人倍率は0.4しかない” と聞かされ、大きな衝撃を受けました。このままでは高知の経済が取り残され、立ち行かなくなってしまう…。そんな危機感を感じました。」と語ります。

全国からありとあらゆる情報が集まってくる内閣官房副長官の秘書官という立場だったからこそ、高知県の実態とそのギャップを知ることができ、それと同時にこの事実を知る1人の高知県人として何かできることがないか、尾﨑さんは考えるようになりました。

そして、これとちょうど重なるようにして、周りの方々からの後押しも増えていきました。特に、政界だけではなく民間の方からも尾﨑さんを応援するような声が集まり、かなり急なスピードで、支援の輪が広がっていきました。

こうしたいろいろなタイミングが重なったことから、尾﨑さんは2007年の選挙へ出馬し、見事当選。その後3期にわたって知事を務め、高知県の経済・文化をより発展させるべく、様々な挑戦を続けられてきました。
「高知県の経済を何とかしたい…!」という強い想いが、尾﨑さんの根底にはありました。



 

“地産外商戦略” が示す高知県の「マーケティング」

そんな尾﨑さんが推し進めてきた政策の1つが、「地産外商戦略」です。

高知県で起こっている人口減少の実態をみたときに、内側に閉じこもればどんどんと経済が縮小してしまうので、外の市場へ飛び出していくことが必要だと判断がなされました。特に食品加工産業において、この地産外商戦略を実現させてきたのが「高知県地産外商公社」でした。

私は「マーケティング」を「相手から選ばれること」だと定義していますが、この尾﨑さんの考え方に基づけば、「県外の人から高知県が選ばれる」状態をつくることになります。そして、マーケティングの要になったのが、地産外商公社です。まさに、マーケティングの力で地方の産業が強くなることを目指した施策だと、私は感じました。


全国でも有名な高知の特産品(写真提供:まるごと高知)

「高知県の地場企業がそれぞれにビジネスを成功させたいという想いを持っていて、その実現に向けてサポートする組織を作りたいと考えた」と、尾﨑さんは語ります。

地場企業が関東へ進出するためには、拠点確保や予算計画、需要の高い商品開発など、様々な課題が待ち構えています。地産外商公社では、川上から川下までワンストップの支援を用意するのですが、企業が自社のマーケティング戦略を叶えるために必要な部分をそれぞれに切り取って、活用してもらうことを目指しました。

尾﨑さんが大切にされていたことは、「主役は地場企業で、県は企業を側面からサポートすること」でした。
行政が主導して企業が参画するというやり方ではなく、企業が実現したいことを支援する関わり方です。そのためには、企業の課題になるところはどこで、行政としてどう解決していくかを考えること。この課題解決型の政策をメインに行っていたそうです。

このお話を伺って、私は “企業のビジネスを成長させるための場づくりを支援する” という観点では、尾﨑さんの県政としての関わり方と、私たちのような広告会社の関わり方とで、共通点があるように感じました。企業それぞれの持つマーケティングが重要な意味を持つという考えがあってこそ、こうした関わり方ができたのではないかと思います。

一方で、「地産外商戦略を進めるにあたっては、それまでの県政との大きなギャップがあった」と、尾﨑さんは話しました。当時の高知県では、財政再建路線が重視されていたので、官と民の仕事、県と市町村の役割を明確に区分して、県が抱える領域・財政をできるだけ圧縮する状況だったそうです。

尾﨑さんは当時を振り返って、「地産外商を推し進めるためには県の方から民間の領域へ、民間を応援する市町村の領域へと、深く踏み込んでいく必要がありました。今までと正反対の考え方なので、県職員の中には当然大きな戸惑いがあったことでしょう。苦労も大きかっただろうと思います」と語りました。

こうしたギャップやいくつもの壁を乗り越えながら、この政策を進めてこられたのです。



 

共感を生む “まるごと高知” の施策

地産外商戦略のように大きなプロジェクト、特にそれまでのやり方から転換や変化を伴うプロジェクトを実現するためには、関係者から共感を得ることが欠かせません。私は、そのために「デザイン」が必要だと考えています。

「デザイン」とは、アイデアに生命を吹き込んで、具現化すること。マーケティングに裏付けられたストーリーがあって、それが成功したときの心が動く瞬間を、一枚の絵や言葉などで表し、その瞬間が実現するようにデザインできれば、相手からの強い共感を得ることができると考えます。

高知県の地産外商戦略の場合、「特に最初の頃は、計画に甘さを感じていた人や、計画を立てても実行できないと思う人が多かっただろう」と、尾﨑さんは語ります。「地産外商で高知の経済を変えるんだ!」と強いメッセージを打ち出していたものの、やはり始めた当初はうまくいかないことや課題が次々と出てきて、その度に改善する、という手法を取ってきたようです。

そんな中で立ち上げられたのが、銀座にある高知県のアンテナショップ、“まるごと高知” でした。東京に1店舗オープンしただけでしたが、高知県民の関心は高く、たくさんの方がこの “まるごと高知” へ訪れました。


左上:2階、左下:地下1階、右:1階(写真提供:まるごと高知)

尾﨑さんは「”まるごと高知” の地下1階・1階の物産店舗、2階のレストランでやっていることを見ていただければ、地産外商とはこういうことだ、というのがきちんと伝わるものになったと感じています。もちろんこれだけにとどまってはいけないのですが、地産外商のスタート地点として県民の皆さんへ示す分には、非常に大きく印象付けるものになりました」と話しました。

このお話を伺って、やはり “まるごと高知” がデザイン、もっと言えば地産外商戦略がどんな未来をつくりたかったのかを示すシンボルとしての機能を大いに果たしていることがわかりました。それまでとのギャップがありながら、この政策をいちばん近くで支えていた県職員はもちろんですが、地場企業を営む方々、高知を愛する県内・県外の方々の心へ届く施策となったことでしょう。

それを裏付ける成果として、地産外商公社を始めたばかりの頃、一緒になって高知の産業を盛り上げようとしてくれたのが約30社の地場企業だったそうですが、この “まるごと高知” を含めた施策を進めてきて、今では約200社の企業が共感し、地産外商活動を盛り上げているそうです。契約件数も、当初は130件程度でしたが、今は約1万件にまで及んでいます。



 

“高知らしさ” がにじみ出た「デザイン」にすること

“まるごと高知” は、1階「とさ市」に海・山・川の幸を集めた商品が、地下1階「とさ蔵」にはお酒が並び、2階は「TOSA DINING おきゃく」という名のレストランになっています。

*「おきゃく」とは、土佐弁で「宴会」のこと

実は、この “まるごと高知” の企画を進めていた当時、私は主に2階のおきゃくエリアを中心にアドバイザーとしてプロジェクトに関わっていました。私自身、このおきゃくエリアに高知県の人が集まって、その周りにもたくさんの人がやってきて、いつしか大きなおきゃくになっている。そんなエリアにしたいという思いがありました。


まるごと高知 2階「おきゃく」では、カツオを藁焼きにしている様子をガラス越しに見ることができる(写真提供:まるごと高知)

尾﨑さんによれば、このおきゃくエリアを設けるにあたって、料理を提供するリスクや、飲食店が経営できるのかという不安から、反対の意見も強く出ていたようです。

しかし、尾﨑さんは「”まるごと高知” にとって、おきゃくのエリアは無くてはならないものだった」と説きます。

食を通じたコミュニケーションを特に大切にする文化がある高知では、”高知の食べ方を伝える”  ”食べる雰囲気を伝える” ことは非常に重要な意味を持っています。あちこちから人が集まって、皿鉢料理が並んで、おきゃくが催されて…。一緒になって食べて飲んで、一緒になって楽しむ「おきゃく」が感じられる空間は、デザインとして必要なものでした。

「”まるごと高知” は高知県の風土・文化も、ともに伝える存在でありたかったのです」と、尾﨑さんは語りました。

当時、私も尾﨑さんと同じ思いをもって、アドバイザーとしての取り組みを行っていました。企画・設計に関わった人々が尾﨑さんの持っている思いを理解し、同じ思いを持てたからこそ、 “まるごと高知” を魅力あふれる施設にできたのだと感じます。こうした “高知らしさ” があらわれた造りになったからこそ、関わった人の納得感と、地産外商戦略に対してのたくさんの人々からの共感が高まっていったのです。



 

「マーケティング」と「デザイン」の可能性

この連載の最初の記事でも述べましたが、私は日本の企業にはまだまだマーケティングとデザインの力や考え方が浸透していないと感じています。技術力・営業力・組織力を重視する企業が多く、何か新しいことを実行するときにも、経営者は『話せば伝わっているだろう』という考えを持つ方も多いので、個人によって共感のレベルがまちまちだと感じます。

企業のマーケターの方々もデザイン、特にどんな未来のシーンを描きたいのかを示した「一枚の絵をつくること」の重要性については、まだ理解が浅いでしょう。経営者と同じ目線に立って、共感を生み出していく部分に課題を感じている人も多くいます。

高知県での地産外商の取り組みにも見られたように、マーケティング戦略を立て、出てきた課題に対して少しずつ対処して進めていく、という課題解決型のやり方はもちろん必要です。ただ、プロジェクトを進める中で、“まるごと高知” が結果的に1つのシンボルとなったことで、その後一気に周りからの共感が高まり、施策そのものが加速したことも事実です。

地産外商の戦略が、どんな未来をつくっていきたかったのか。
“まるごと高知” は多くの人が見てわかりやすい、アイコンのような機能を持つようになり、その未来を示す存在になりました。あとから振り返ってみれば、”まるごと高知” は私たちの考える「一枚の絵」としての機能を果たしていた、ということです。

もし、何かの戦略やプロジェクトを描くいちばん最初に、この「デザイン」、特にアイデアが具現化したときの感動のシーンを表す「一枚の絵」を、誰もがわかりやすい形で打ち出すことができれば、より一層の大きな共感とスピード感を持って、マーケティングの成果を上げていくことができるのではないでしょうか。

企業も行政も、それぞれの経営戦略・マーケティング戦略をわかりやすく周りに示し、共感を生み、1つのゴールを見据えて進んでいくために、これからより一層デザインの力は必要とされるのだと、私は考えています。

新型コロナウイルスの影響もある中、尾﨑さんにはこの対談を快く受けていただき、高知県で実践された非常にチャレンジングな取り組みや、これからの日本に対してのお考えを伺うことができました。あらためて、ここに感謝を申し上げます。また、マーケティングとデザインの考え方へ共感をいただき、地方が強くなり、世界とつながっていく日本になるといいのではないか、という尾﨑さんの考えに、私自身もますます期待が膨らむような気持ちになりました。尾﨑さんの目指す日本に、明るい未来を感じています。

そして、私たちはやはり、マーケティングとデザインの力を信じています。企業の経営や戦略に深くかかわり、企業の価値を高め、成長し続けるために欠かせない力だと思っています。それだけにとどまらず、これからの働き方や、人々の暮らしにも大きくかかわってくるでしょう。マーケティングとデザインの力で、未来をグッとよくする。私たちの想いは、ここにあるのです。
 
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