社長コラム 2024.06.27 Bigbeat DNAのDNA

私の故郷高知では少々強めの女性のことをハチキンと称します。
(その語源については事情により割愛します)

母の順子は、『高知県立ハチキン博物館』があれば飾ってもらえるくらいのツワモノでありました。
 


小柄(横には大きい)で恐ろしく涙脆い反面、大変な武闘派で
私や姉ともちょいちょい掴み合い、取っ組み合いをしました。

私が背丈で追い抜くころにはあまり立ち向かってこなくなったのですが、それでも高3の頃、ちょっとした弾み(?)で母を投げ飛ばしてしまい、居間の壁に穴が空いたことがあります。

母は『息子の仕出かしたこの穴をとっとくのだ!』としばらく修理せずにそのままにして、親戚やご近所さんにその穴を見せては笑っていました。

小さい頃の思い出としては、とにかく服を泥だらけにして、ずぶ濡れになるまで遊んで帰ると褒められました。

『ハマちゃん、あんまし汚して帰ったら叱られるき・・』と躊躇する友人を泥だらけ遊びに誘い込み、仮面ライダーごっこで川に飛び込ませたものです。

母の喜ぶ顔見たさかどうかは分かりませんが、とにかく徹底的に見事なまでに泥んこになって遊びました。

それから15歳の頃父親が他界し、姉も進学で家を離れると、母と二人きりの生活に。

仮面ライダー泥んこ遊びの延長で、エレキギターにバイクそして女の子に向かったバカ息子に、ハチキン母ちゃんはまたも『誰よりも泥だらけで遊べ!』的な接し方をしたのです。

『ユタカ、エレキも弾きなはれ!バイクも乗りなはれ!女の子とも遊びなはれ!』

まるで浪花恋しぐれ( https://www.uta-net.com/song/3425/ )のセリフのような、ありえない教育です。とてもここでは書けないようなことをしでかして、何度か学校から呼び出されました。おそらくは母子家庭での事情を批判されたりしたこともあったかもしれませんが、ハチキンらしく立ち向かってました。(学校や世間に)

母は4人姉妹の末っ子で、父親の顔を知らず育ったので、おそらくは男の子的な遊びやいたずらを自分もやってみたかったのかなぁ、と今では想像します。

ただ、恐ろしく厳しい面もあり、約束を破ったり嘘をついたことがバレたりしたら烈火のごとく怒りだすので、よく震え上がったものです。

晩年は長く肝臓の病気を患い、東京の有名な病院で診てもらうために高知から転居しました。

9回も手術をしたのですが『この病院の記録は10回らしいき、そればぁは頑張らないかん』と強がってました。しかし病魔には勝てず、最後の方は食事も取れずガリガリ君(アイス)ばかり食べていました。

『あんたが50歳になるまでは元気でおる』と言う言葉通り、私が50歳を迎えた誕生日のその夜に亡くなりました。ハチキンダマシイ恐るべし!です。


 
母が亡くなった翌週、6月9日ロックの日にバンドのライブを思いっきりやってから12年になります。

会社の仲間たちに

・ロックは常にでっかい音で!
・ドライバー(ゴルフ)は首に当たるまで振り切る!
・懸命に働く、寝る間も惜しんで遊ぶ!
・変化が大きい方、波の高い方へ自身で舵を切れ!

→その方が絶対楽しいから!

なんて話をするのは、母に褒めてもらいたいがために(本当は怖いけど)川や海に飛び込んで、泥だらけずぶ濡れになって遊んだ頃の細胞がまだ少し残っているのかもしれないなぁなんて思うこの頃です。

Bigbeatの仲間からは

『はて? 私たちはハマロと仮面ライダーごっこで泥だらけになって遊んでるようなもんなのでしょうか?』

って言われそうですが、、まあザックリ言えばそんなもんです。場合により迷惑な話ですね、ごめんなさい!

父親も6月、父の日に他界しました。梅雨のこの時期は、お仏壇に手を合わせまだまだ懸命に遊んでいることを報告することが多くなります。



 
 
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