Bigbeat 2021.02.15 海外恐怖症だったバックパッカーが語る、声を上げることの大切さ|アカウントチーム・越膳

「ビッグビートの部屋~PEOPLE~」へようこそ
仕事もプライベートも楽しむビッグビート社員たちのウラ側(オモテ?)を、ちょっぴりお見せするコーナーです。
(注)時々マニアなネタも飛び出します

Today’s ~越膳の部屋~
英語が堪能で旅行好きな越膳。アグレッシブに見えていた彼女、実は「英語嫌い・海外恐い・人見知り」だったとか・・・!?
克服したきっかけを根掘り葉掘り聞いてみたら、気になるエピソードがどんどん出てきた!

   
 

人見知りだった彼女を変えたもの

—ビッグビートでのお仕事は?
営業としてお客様のウェビナーの企画運営やクリエイティブ制作のご支援をしています。



ハマっているものや好きなものを教えてください!

最近、運動に目覚めました!

一日一回はヨガマットを開いて、ストレッチやヨガをやれるようにしています。

朝、ランニングとヨガをしてから仕事を始めると、気持ちがすっきりするのでおすすめです!
何より、早起きすると時間ができるので、本も読んだりできます!
元々早起きは大の苦手ですが、継続できるように頑張りたいと思います。。

最近は、週末も友達と公園で走ったりしています! 


ー運動が好きになったきっかけは?

小学校はミニバス(ミニバスケットボール)、中学では陸上部で走り高跳びを、高校ではハンドボールをしていました。大学では2年間フットボールサークルにプレイヤーとして入っていました。
元々体を動かすことが好きなんです!運動すると、気分が晴れやかになって元気になります。

ー運動をしていて良かったなと思うことはある?

そうですね・・うまく言えないですが、運動をやってきたからこその私があるなとは思います。

小学校の頃の私は、本当に人見知りだったんです。
その頃やっていたミニバスでは、自分より年上のプレイヤーやお母さん世代の人、他校の人と話す機会が増えて、慣れていきました。
当時は人見知りに加えて自分の意見もなかなか言えず・・・弱かったんですよね・・・。
今の私とは、全く違うんです。

今はハキハキと自分の意見を話すタイプに見えていたので、人見知りの時代があったとは意外でした!越膳さんは留学経験があって、旅行が好きと聞いていましたが・・

旅行を好きになったのは、実は3~4年前くらいで、最近なんです!初めての海外旅行は大学2年の時に友達と行った韓国旅行でした。

その後、大学3年の時にアメリカへ6週間の短期留学をしました。

私は国際日本学部という学部に所属していたのですが、学生が皆個性的で、やりたいことがあって、きらきらして見えていました。その頃の私は「英語嫌い・海外行きたくない・日本大好き」で、転部まで考えていたくらいだったのですが、留学に行って帰ってきた皆は「楽しかった」と言っていて、その姿がなんかちょっと変わって見えたんです。そこで、大学に入ってから何も成し遂げられていないし、成長していないと感じていた私は、何か「これやったぞ!」って言えるような大きなことを成し遂げたいなと思い、私も留学に行ってみようかなと思うようになりました。それで、大学3年夏にアメリカへ6週間の短期留学に行きました。海外の文化を知りたいなと思ったので、まずは6週間。それすらも長く感じていましたが、行って帰ってくると思っていたより短く感じました。

 

コミュニケーションの面白さに気づいた海外生活

ー行って帰ってきて、何か変化はあった?

めちゃくちゃありました!まず「英語」というものが、前はただの試験教科だと思っていたのですが、実際に海外に行ったら、知らない国の人と話すことに使えるコミュニケーションツールになったこと。
宗教も違えば、食も違うし、箸を初めて見たというような人もいる中で、今まで学んできた英語を使って知らない国の人の考えを知ることができるのはおもしろいと思いました。



結局この6週間の短期留学がとても楽しくて、休学してお金を貯めて海外に行こうと決めました。

―海外嫌いだったのに休学してまで行きたいと思ったのは、とても刺激的な6週間だったのですね!帰ってきた後はどこに行ったのですか?

オーストラリアに1年、その後、タイ、マレーシア、イギリス、イタリア、スペイン、フランスに行きました。

休学後の4月から7月までは、お金を貯めるためにアルバイトをして過ごし、その後オーストラリアに行きました。元々7月から翌年の2月まで行く予定だったのですが、12月頃に現地で海外生活を延長しようと決めて、そのまま7月まで1年間オーストラリアにいました。

ワーキングホリデービザで行ったのですが、現地でお金を稼ぎながら生活をしなければならないのでとても大変でした。
特にオーストラリアは物価が高く、お金が十分になかった私は、すぐに現地で仕事を探さなければなりませんでした。斡旋業者を利用してもよかったのですが、そうではなく自分一人で現地で仕事探しをしました。

日本での仕事探しとは少し違って、自分でWord等を使って履歴書を作り、それを持って街に出て行き、自分で配るんです。あれはすごい経験でした。

だから、街を歩いていて、「あのカフェおしゃれだな」と思ったら、「すみません、お仕事探しています」と、100枚くらい印刷して回っていました。

ー仕事は見つかった?

履歴書を配った結果、オファーはもらったのですが、色々日本と違うことがあって・・。
日本ではアルバイトを申し込んだら、面接をして、OKだったら働けると思うのですが、オーストラリアでは履歴書を渡して、気になったら連絡がくるんです。連絡が来たら、その後トライアルといって一度働いてみて、それで合否が決まります。
私はすごく良いレストランから連絡が来てトライアルを受けたのですが、ダメでした。ウェイトレスのお仕事だったのですが、文化の違いが仕事にも関係していました。例えば日本では空いたグラスがあったら「お下げしていいですか」と聞いてから下げると思うのですが、向こうではそれを聞かないで下げてしまう。私はお客さんに聞いたり、様子を見ながらやっていたので、積極性とかでマイナスに見られてしまったのかな、と思っています。
結局1年間のうち、半年くらいはバックパッカーのホステルで住み込みのバイトをして、あとの半年は農場でのバイトでした。

ーホステルではどんなお仕事を?

バックパッカーホステルでは、ハウスキーピングのお仕事をしていました。働いている人も日本人がいなくて、働き方のスタイルの違いに驚きました。仕事中に姿を見かけないなと思って屋上に行ったらご飯食べていたり、音楽を大音量でかけて踊りながら仕事をしていたり(笑) すごく楽しかったです。

ー次は農業?

はい、農業を一定期間やればビザを延長できるので自分の選択肢の幅を広げるために、あと農業なんてこれからやる機会はなかなか無いだろうなと思って、転職しました。
これも探すのが大変で、電話をかけたり、Facebookの投稿から問い合わせたり、人づてでとか・・
季節によって採れる作物が変わるので、農場も5か所くらい転々としました。



仕事探しが本当に大変で、見つかっても違法農場があったりするので見極めが大変でした。
紹介してもらうとその確率はぐっと下がるのですが、条件が良くなかったり、、、

最初に行ったのが、フランス人の友達からの紹介で行ったさくらんぼ農場だったんです。
そこではアジア系チームとヨーロッパ系チームに分かれていて、私は紹介してくれた友達がいたヨーロッパ系チームの方にいたのですが、ここでも働き方のスタイルなのか、文化の違いなのかを感じました。チーム員が寝坊をしたり、車を運転できる人が行きたくないと言って皆仕事に行けなくなったりしていたので、オーナーからチャットで「明日までに、家からも農場からも出ていけ」とメッセージが入ってしまったんです(笑)

ーええ!じゃあ、また職探しを・・?

その農場はシドニーの近くで、時期は年末くらいだったので、「じゃあ皆でシドニーに行って楽しもう!」という話になり、途中キャンプしたりしながらシドニーまで行きました(笑)

ーそれはすごいポジティブですね(笑) 海外をたくさん飛び回っていると、お財布をなくしたり、危ないこともあったのでは?

たくさんあります!(笑)
一番最初の6週間のアメリカ留学の時に、語学学校に通っていたのですが、そこで4日間のラスベガスツアーの企画があったんです。もちろん応募して、とても楽しみにしていたのですが、荷物の準備をしないまま前日に飲み歩いた結果、ツアー当日に寝坊してしまい、服やシャンプーなどの荷物を全て忘れてしまったり・・・初日から最悪でした(笑)
加えて、ツアー3日目にラスベガス近くのグランドキャニオンに行って写真を撮ったりして楽しんでいたのですが、帰りのバスを待っている時に私のバッグが無いことに気づき・・・グランドキャニオンを走り回ったのですが、どうしても無くて・・・。そのバッグの中には、携帯電話・財布・パスポートが全て入っていたのですが、全部無くなってしまったので警察に行って届け出を出しました(笑) サンフランシスコに日本領事館があったのでパスポートの再発行手続きができたのですが、さすがにショックで・・・。ツアー最終日はショックで寝込んでいたら、帰りのバスの発車5分前に起きて、また急いでバスに乗り込むことになったのですが、この寝坊のせいで買っていたお土産を全部ラスベガスに忘れてきてしまいました・・・

ー・・・壮絶な4日間でしたね(笑) 無事に帰ってこれて何よりです・・・!

 

巡るチャンスは自分が起点!

ー海外での経験はどんなことに活きていますか?

海外に行ってから、言いたいことが言えるようになりました。
日本は、察する文化があると思うのですが、海外ではやりたいと思ったことは言わないと気づいてくれないですし、仕事を探すときも自分から行動しないと仕事を得ることができないので、はっきりと積極的に話すようになりました。

BigbeatLIVEでも、「動画編集をやりたい」と言ったことで、クリエイティブにも携わることができました。自分から声を上げることで、チャンスが巡ってきて実際に叶えることができたんです。

あと積極的になったと思います!昔の私とは違うんです。人間関係でも「この人と話したい」と思ったら、話しかけられるようになりました。
人のことをほめることもできるようになったと思います。良いなと思ったところを言うとか。褒められた方も、褒めた方もハッピーな気持ちになるので。「それいいね」とか「だめだね」とか、小さな気づきを言葉にして発信することは、海外に行ってからできるようになりました。

ひとりで行動できることが増えましたね。

初めてのことがあっても臆せず、それに対してチャレンジできるようになりましたが、仕事だとまた違って、誰かが関わってくることなので慎重に行動しています(笑)

—今後の目標を聞かせてください!

ビッグビートに、バルセロナかニューヨーク支社ができたら行きたいです!(笑)

それを楽しみに、海外でプロとして働きたいなという気持ちがあります。
何のプロとして働きたいかは、まだわからないですが・・!

広告会社に入りたかったのは、自分でなにかつくりたかったから。あと、あるものを淡々とこなすのではなく、常に変化ある状況に身を置きたかったんです。
相手の欲しいものを「これかな?」と想像しながらものをつくることが好きだったので、今はまだ得意なことがわからないけど、色んな種類の案件に携わって見つけていきたいなと思っています。

あとは、自分の表現したいものを表現できるようになりたいなと思っています。お客様からの意見を聞いて、自分の意見を混ぜてデザインしていきたいです。

でも、直近の目標は一人でできることをもっと増やすこと!そのために、たくさんの案件に関わっていきたいと思っています。やってみないとできるようにならないので!オンラインセミナーも動画制作も広告制作も、とにかく一人で自信をもってディレクションができるようになりたいです!

 
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