デザイン 2020.01.09 「デザイン」について考えてみた ―日本・アメリカ・イタリアの視点
新年早々あつまったのは、代表・濱口をはじめ、国籍も部署も豊かな面々。
Bigbeat LIVE第一章として2017-2019年の3年間で「マーケティング」をテーマに活動してきたBigbeatですが、2020年からは「デザイン」をテーマにした第二章がスタートします。
【参考記事】
Bigbeat LIVE 2017 イベントレポート
Bigbeat LIVE 2018 イベントレポート
Bigbeat LIVE 2019 イベントレポート
この座談会では、さまざまに解釈される「デザイン」、そもそも「デザインとは何か」をアメリカ・イタリア・日本それぞれの視点から考えてみたいと思います。
〈メンバー〉濱口、野北(マーケティング部)、ジョセフ(グローバルアカウント/アメリカ出身)、イラリア(イベント事務局/イタリア出身)
野北:
さて、われわれBigbeatはこれまでの3年間で「マーケティング」と「経営」を紐づかせることが大事だというメッセージを発信してきたわけですが、2020年からはさらに、その2つをよりわかりやすくしていくために「デザイン」との関係性についても考えていく必要があると思っています。
しかし、世の中にデザインの言葉ひとつとってもいろいろな解釈があります。
われわれ広告会社にとってのデザインを見つけていく一年にしたいという想いから、日本だけでなく、世界からみた「デザインとはなにか」をディスカッションするこの座談会をもうけました。
ということで、まず基礎知識としてデザインの語源を調べてみましたが、ラテン語のデジニャーレ(Designare)とあって、これは「計画を記号にあらわす」という意味からきている言葉のようですね。あらゆる問題を解決するために思考概念の組み立てを行って、さまざまな媒体に応じて表現することを意味する、と。
一方でデザインという言葉は広くいろんな捉え方をされていて、パッと思いつくもので言うと、外見など表層の部分だけを指して言うこともありますが、アメリカやイタリアではどんな意味合いを持っていますか。
ジョセフ:
アメリカでデザインは「設計」になりますね。デザイナーとつくものは、誰かと手を組んで、計画して、設計して、わかりやすく、つかいやすいものをつくっていく人たち。日本でデザインと聞くと、ちょっと違うイメージがあります。
イラリア:
イタリア語で「設計」はProgetto(プロジェット)といい、この単語はラテン語のProjectus(Pro将来に向かって+Jectus 投げる、投影する)からきています。英語ではProjectにあたりますね。
イタリア語で「デザイン」について話すときには、2つの言葉をつかいます。
ひとつはイタリア語のDisegno(ディゼーニョ)で、絵や素描を意味し、芸術と関係があります。ふたつめは英語のDesign(デザイン)で、Disegno+Progettoのようなイメージです。
イタリア人の頭のなかで、芸術ならDisegno、芸術+設計・計画ならDesign、設計ならProgettoになります。
英語のDesignからイタリアのデザインについて考えてみたのですが・・・(「温故知新」と書かれた資料を出す)
イラリア:
イタリアのデザインは古いものから新しいものをつくること、つまり、イタリアならではの芸術性をもちながら、時代のニーズや価値観に合わせて機能もかっこよさも追い求めていく。これって、芸術と設計を合わせたことですよね。商品をつくることにも同様の考え方をします。建築なども・・・
イタリア語の「Disegno(ディゼーニョ)」は、ただ絵や芸術を指しますが、「Progetto(プロジェット)」は、頭の中にプロジェクトがあって、それを図面におとすというような意味で使われます。
濱口:
ぼくらがテーマにしているデザインは、後者だよね。もしかしたら、その概念はアメリカで生まれたんじゃないかな。
ジョセフ:
そうかもしれませんね。
濱口:
もちろん建築や服のデザインは何百年も前からあったけど、(設計という意味での)デザインはなかったんじゃないかなぁ。「マーケティング」という言葉も、いまの意味でつかわれるようになったのはここ100年くらいしか経っていないと言われていて。それはたくさんつくったものをどうやって売るかということ。
売れるものをどうやってつくるかはデザインだよね。でも、そのデザインと、芸術としてのデザインは意味が違う。ってことは、やっぱり100年前くらいにデザインの概念が変わったんじゃないの?考えが安易かな笑?
野北:
日本で芸術、アートというと、空想する、自分の想いを表現・創造すること。
ただ、ここでいうデザインとなると、なにかを解決したり、ゴールを描いて、それに向かってプロジェクトやプロセスをつくり、仮にプロダクトだとすると、プロダクトを届けるコミュニケーションになるというのが、デザインの考え方になると思います。
イラリア:
イタリアであれば、その考え方は芸術ではないと思います。なぜなら、その「デザイン」は、毎日をよりよく、つかいやすくなるようにすることですから。
ジョセフ:
アメリカも、もちろん「デザイン」は芸術に入りますが、たとえば「アメリカンデザイン」といわれたら、かっこいいけどできるだけ早くするとか、トラックだったら重いものがたくさん運べるとか、デザインの中に機能が入っています。車の国だからだと思いますが。機能はとても大事です。
濱口:
じゃあ、アメリカが(デザインの概念を)変えたんだ。
一同:
笑
濱口:
去年の夏にバルセロナにいったとき、ロープウェーから街並み(※)が見えたんだけど、上から見ると区画ごとにきれいに分かれていてビックリした。
あれもデザインだと思うけど、街をデザインしているということかな。誰かが意図的につくっているとしか思えない。街のデザインは、当時の政治にコントロールされていたのかなぁと。
(※)バルセロナ市街を真上から見ると、中央に配置された庭を囲むように建物が並ぶ区画パターンが碁盤の目のように整然と広がっています。ぜひ検索してみてください!
ジョセフ:
ニューヨークの地図をみると、きれいに整理されていますよ。大きい街はだいたいそうです。政府にCity PlannerとかCity Designerとか役職や部署があって、街がだんだん大きくなりながら実行していったんです。
濱口:
でも、何百年、何千年前の街を設計したデザインと、たくさんのプロダクトをつくって一気に売ろうとするマーケティングと連動したデザインでは、ちょっと違うんだろうなと思う。
野北:
日本のデザインって何なんだと調べていて。
東京オリンピックのときにつくられたピクトグラムは日本人が作った、だれでもわかる、すごくいいデザインだと思います。
東京五輪(1964年開催)で導入されたピクトグラムの一例
ソニーのウォークマンも、携帯電話のデザインも、日本独自で生み出されたデザインって言えるんじゃないかと思いますね。
でも、日本人の特性なのか、文化なのか、いろんな機能を追加したくなっていく傾向にあると感じます。そうすると、いわゆるテレビのリモコンを想像してもらえればわかると思うんですけど、あらゆる機能を追加した結果、本質的になにがやりたかったんだっけ?が見えなくなるという・・・
濱口:
いま野北が言ったところが、僕らが考えていきたいところ。マーケティングとデザインの関係性についての見解をまとめていきたいなと。
日本企業は欧米諸国と比較して生産性がない、同じ10時間働いても生み出せるものが少ないといわれている。それは、みんなにイエスと言ってもらおうとするから。
そうならないようにしたほうがいいよね、と。10人いて10人買ってくれるわけがない、10人中3人買ってくれれば企業は成功するので。そのかわり、その3人が何をほしいか、ちゃんと答えをだして選ばれるということをしないと、「日本企業の製品はなんでもついてるけど買えない/買わない」というのが増えていくと思う。
ある外車ディーラーの人と話したとき、日本はオプションが全部ついているものが一番売れるといっていたよ。テレビも、ちょっと前まで高機能でなんでもついているものが売れていた。アメリカやヨーロッパになると、自分にほしいものがついているものを買う。
全部入れて、一番いいものをつくろうとするのは我々日本の文化だと思う。でも、マーケティングのもともとの発想って、そうじゃないよね。
選ばれることがマーケティングだと思っていて、何をもって誰に選ばれるかを決めるのがマーケター、決めたことを形にする、設計・デザインするのがデザイナー。
これからは、マーケターとデザイナーがきちんとリンクして、自分たちのコミュニケーションとして発信していく、そんな企業経営が必要じゃないかと思う。
野北:
アメリカはそういう方法をとっているんじゃないでしょうか。
ジョセフ:
たとえばテレビをデザインするとき、日本だといろんな機能をいれるからリモコンとかとても複雑になります。
アメリカの場合、もちろんインターネットとかいろんな機能が入っていますが、「これって本当にいるの?」と思うものは外して、値段を安くして買いやすくします。
車の場合、わたしは東京に住んでいるので何トンも運べるようなトラックはいりませんが、メーカーも私のような人をターゲットにしてトラックをつくっていません。アメリカの田舎に住んでいて、農業をやっている人向けに、そのトラックをマーケティングしているというわけです。それが大事なことですよね。
イラリア:
イタリア人も同じ考え方があります。いらないところは取って、簡単にして、必要な機能を入れています。それにプラスして、イタリアでは特にかっこよさも重視されますね。
野北:
まず、組織としてみるとマーケティング部がない、社内にデザイナーがいないという日本企業もまだまだいらっしゃると聞きます。そういう状況だと、デザインの話を社内で議論するにしてもなかなか共通言語・共通理解を得られないということも多くありそうですね。というか、そもそもデザインという発想に至らないこともあるのでは。
イタリアは、経営者/CEOのほかにCDO(Chief Digital Officer)やCMO(Chief Marketing Office)はいますか?
イラリア:
いますよ。
前職ですが、設計部、マーケティング部、デザイナーという肩書ではないんですが、そのようなポジションの人が一緒に働いていました。マーケティング部はターゲットと、どんな商品をつくるか考えて、設計部が設計して・・・
濱口:
そうならないと、選ばれないよね。
言い方は悪いけど、誰にでも選ばれようとする製品がたくさん売れる時代ではない。ぼくら広告会社もそう。「なんでもやりまっせ」ではなく、「これをやりたいんです」をこちらから発信していかないと。ぼくたちは製品がないので、どう表現するかがデザインの部分。
イラリア:
広告についていうと、イタリアと日本とはちょっと違うと思います。たとえばテレビCMをみると、日本の広告はストーリーみたいです。イタリアはストーリーではないですね。ただ、こういう商品があって買ってください、のような感じです。最近はちょっとストーリーが入ってきていますが・・・
ジョセフ:
アメリカの広告はストーリーが入っていると思います。たとえば、昔iPhoneのCMがあって、音楽聞きながら歩いているシーンがすごく印象に残っていて、「あのひとiPhoneもってる!」と思うようになったり、実際に私自身もiPhoneがほしくなりました。親に「買って買って」とねだりましたね。買ってくれなかったけど・・・笑。
ターゲットに対してストーリーは大事です。
イラリア:
ヨーロッパはアメリカから色々な影響を受けていますが、iPhoneのCMもイタリア語ではなく英語でした。なぜかというと、英語はかっこいいですから。
野北:
イタリア人にとって、英語はかっこいいですか?
イラリア:
はい。たとえばネスプレッソですが、CMでアメリカ人のジョージ・クルーニーが英語で会話をしながらネスプレッソを飲んでいるからこそ、「私も!」となります。
野北:
(広告を見ながら)自分を投影してるんですね。
☆余談☆ちなみにジョージクルーニーのCMは日本でも英語に字幕付きで流れていました!^^
濱口:
日本はもともと広告の水準が高いと思っていて、なぜかというと以前はCMなど広告料が高かったから。莫大な広告料がテレビや新聞社に収入として入るので、コンテンツの質があがるんです。メディア会社が儲かる、コンテンツ制作会社も儲かる、スポンサーもモノが売れる…と三方良い関係がしばらく続いた。
ぼくは、デジタルの時代になってもそういう良い関係をつくっていくのが広告会社の仕事だと思ってる。でも広告って嫌われてるじゃない?それは良い広告じゃないから。コンテンツがおもしろくないということ。
野北:
よく「ウザい」って言葉がでてくるのは、「ほしくないのに、全然関係ないのに追いかけられる」という印象があるからじゃないかと。デジタルマーケティングとしてそれをやってしまっているケースも見受けられる。
ジョセフ:
ECサイトで一回クリックしたら、その商品が何回も広告で出てきますよね。ときどきジャマになります。
野北:
本当は、広告ってもっと「こうなったらいいな」ってワクワクするものじゃないですか。さっきのiPhoneみたいに。ぼくたち広告会社が、そういうものをちゃんとつくらないといけないですよね。
ジョセフ:
そのiPhoneのCMは、おもしろかったから見たんです。コンテンツがよかったら見ると思います。
イラリア:
サムスンのCMで、すごくテクニカルのことについてプッシュするものがありました。iPhoneは逆です。「iPhoneをもっているとかっこいい」というイメージをプッシュしている感じがします。それぞれターゲットを選んでコンテンツをつくることが大事だと思います。
濱口:
だんだんスティーブ・ジョブズの「デザインは機能だ」という言葉に近づいてきた気がするね。製品をつくってるんじゃなくて文化をつくってるんだ、っていう。
で、文化をつくるためにはマーケティングが大事。
野北:
じゃあ、結論として「ジョブズを読め」ってことですかね!
一同:
笑
野北:
振り返ると、多機能が悪いということではないんですよね。多機能を求める人たちに伝えるメッセージやコンテンツを出せば。
ターゲットに対して、しっかりメッセージやコンテンツを設計する。それがマーケティングとデザインの関係性なんじゃないでしょうか。
ジョセフ:
うまく言えませんが、本当に良いデザインは、デザインについてなにも考えないです。誰がデザインしたのか、どうデザインしたのか・・・良いデザインはそんなことを考えないと思います。
野北:
「ここがダメ」「使いやすい」とか考えるまでもなく、なにも考えずにスッとできてしまうのが良いデザインかもしれませんね。
イラリア:
プラス、かっこいいは必要です・・・
一同:
笑
Bigbeat LIVE第一章として2017-2019年の3年間で「マーケティング」をテーマに活動してきたBigbeatですが、2020年からは「デザイン」をテーマにした第二章がスタートします。
【参考記事】
Bigbeat LIVE 2017 イベントレポート
Bigbeat LIVE 2018 イベントレポート
Bigbeat LIVE 2019 イベントレポート
この座談会では、さまざまに解釈される「デザイン」、そもそも「デザインとは何か」をアメリカ・イタリア・日本それぞれの視点から考えてみたいと思います。
〈メンバー〉濱口、野北(マーケティング部)、ジョセフ(グローバルアカウント/アメリカ出身)、イラリア(イベント事務局/イタリア出身)
デザインの語源
野北:
さて、われわれBigbeatはこれまでの3年間で「マーケティング」と「経営」を紐づかせることが大事だというメッセージを発信してきたわけですが、2020年からはさらに、その2つをよりわかりやすくしていくために「デザイン」との関係性についても考えていく必要があると思っています。
しかし、世の中にデザインの言葉ひとつとってもいろいろな解釈があります。
われわれ広告会社にとってのデザインを見つけていく一年にしたいという想いから、日本だけでなく、世界からみた「デザインとはなにか」をディスカッションするこの座談会をもうけました。
ということで、まず基礎知識としてデザインの語源を調べてみましたが、ラテン語のデジニャーレ(Designare)とあって、これは「計画を記号にあらわす」という意味からきている言葉のようですね。あらゆる問題を解決するために思考概念の組み立てを行って、さまざまな媒体に応じて表現することを意味する、と。
一方でデザインという言葉は広くいろんな捉え方をされていて、パッと思いつくもので言うと、外見など表層の部分だけを指して言うこともありますが、アメリカやイタリアではどんな意味合いを持っていますか。
ジョセフ:
アメリカでデザインは「設計」になりますね。デザイナーとつくものは、誰かと手を組んで、計画して、設計して、わかりやすく、つかいやすいものをつくっていく人たち。日本でデザインと聞くと、ちょっと違うイメージがあります。
イラリア:
イタリア語で「設計」はProgetto(プロジェット)といい、この単語はラテン語のProjectus(Pro将来に向かって+Jectus 投げる、投影する)からきています。英語ではProjectにあたりますね。
イタリア語で「デザイン」について話すときには、2つの言葉をつかいます。
ひとつはイタリア語のDisegno(ディゼーニョ)で、絵や素描を意味し、芸術と関係があります。ふたつめは英語のDesign(デザイン)で、Disegno+Progettoのようなイメージです。
イタリア人の頭のなかで、芸術ならDisegno、芸術+設計・計画ならDesign、設計ならProgettoになります。
デザインの概念
イラリア:英語のDesignからイタリアのデザインについて考えてみたのですが・・・(「温故知新」と書かれた資料を出す)
イラリア:
イタリアのデザインは古いものから新しいものをつくること、つまり、イタリアならではの芸術性をもちながら、時代のニーズや価値観に合わせて機能もかっこよさも追い求めていく。これって、芸術と設計を合わせたことですよね。商品をつくることにも同様の考え方をします。建築なども・・・
イタリア語の「Disegno(ディゼーニョ)」は、ただ絵や芸術を指しますが、「Progetto(プロジェット)」は、頭の中にプロジェクトがあって、それを図面におとすというような意味で使われます。
濱口:
ぼくらがテーマにしているデザインは、後者だよね。もしかしたら、その概念はアメリカで生まれたんじゃないかな。
ジョセフ:
そうかもしれませんね。
濱口:
もちろん建築や服のデザインは何百年も前からあったけど、(設計という意味での)デザインはなかったんじゃないかなぁ。「マーケティング」という言葉も、いまの意味でつかわれるようになったのはここ100年くらいしか経っていないと言われていて。それはたくさんつくったものをどうやって売るかということ。
売れるものをどうやってつくるかはデザインだよね。でも、そのデザインと、芸術としてのデザインは意味が違う。ってことは、やっぱり100年前くらいにデザインの概念が変わったんじゃないの?考えが安易かな笑?
野北:
日本で芸術、アートというと、空想する、自分の想いを表現・創造すること。
ただ、ここでいうデザインとなると、なにかを解決したり、ゴールを描いて、それに向かってプロジェクトやプロセスをつくり、仮にプロダクトだとすると、プロダクトを届けるコミュニケーションになるというのが、デザインの考え方になると思います。
イラリア:
イタリアであれば、その考え方は芸術ではないと思います。なぜなら、その「デザイン」は、毎日をよりよく、つかいやすくなるようにすることですから。
ジョセフ:
アメリカも、もちろん「デザイン」は芸術に入りますが、たとえば「アメリカンデザイン」といわれたら、かっこいいけどできるだけ早くするとか、トラックだったら重いものがたくさん運べるとか、デザインの中に機能が入っています。車の国だからだと思いますが。機能はとても大事です。
濱口:
じゃあ、アメリカが(デザインの概念を)変えたんだ。
一同:
笑
濱口:
去年の夏にバルセロナにいったとき、ロープウェーから街並み(※)が見えたんだけど、上から見ると区画ごとにきれいに分かれていてビックリした。
あれもデザインだと思うけど、街をデザインしているということかな。誰かが意図的につくっているとしか思えない。街のデザインは、当時の政治にコントロールされていたのかなぁと。
(※)バルセロナ市街を真上から見ると、中央に配置された庭を囲むように建物が並ぶ区画パターンが碁盤の目のように整然と広がっています。ぜひ検索してみてください!
ジョセフ:
ニューヨークの地図をみると、きれいに整理されていますよ。大きい街はだいたいそうです。政府にCity PlannerとかCity Designerとか役職や部署があって、街がだんだん大きくなりながら実行していったんです。
濱口:
でも、何百年、何千年前の街を設計したデザインと、たくさんのプロダクトをつくって一気に売ろうとするマーケティングと連動したデザインでは、ちょっと違うんだろうなと思う。
選ばれるためにマーケターとデザイナーがすべきこと
野北:
日本のデザインって何なんだと調べていて。
東京オリンピックのときにつくられたピクトグラムは日本人が作った、だれでもわかる、すごくいいデザインだと思います。
東京五輪(1964年開催)で導入されたピクトグラムの一例
ソニーのウォークマンも、携帯電話のデザインも、日本独自で生み出されたデザインって言えるんじゃないかと思いますね。
でも、日本人の特性なのか、文化なのか、いろんな機能を追加したくなっていく傾向にあると感じます。そうすると、いわゆるテレビのリモコンを想像してもらえればわかると思うんですけど、あらゆる機能を追加した結果、本質的になにがやりたかったんだっけ?が見えなくなるという・・・
濱口:
いま野北が言ったところが、僕らが考えていきたいところ。マーケティングとデザインの関係性についての見解をまとめていきたいなと。
日本企業は欧米諸国と比較して生産性がない、同じ10時間働いても生み出せるものが少ないといわれている。それは、みんなにイエスと言ってもらおうとするから。
そうならないようにしたほうがいいよね、と。10人いて10人買ってくれるわけがない、10人中3人買ってくれれば企業は成功するので。そのかわり、その3人が何をほしいか、ちゃんと答えをだして選ばれるということをしないと、「日本企業の製品はなんでもついてるけど買えない/買わない」というのが増えていくと思う。
ある外車ディーラーの人と話したとき、日本はオプションが全部ついているものが一番売れるといっていたよ。テレビも、ちょっと前まで高機能でなんでもついているものが売れていた。アメリカやヨーロッパになると、自分にほしいものがついているものを買う。
全部入れて、一番いいものをつくろうとするのは我々日本の文化だと思う。でも、マーケティングのもともとの発想って、そうじゃないよね。
選ばれることがマーケティングだと思っていて、何をもって誰に選ばれるかを決めるのがマーケター、決めたことを形にする、設計・デザインするのがデザイナー。
これからは、マーケターとデザイナーがきちんとリンクして、自分たちのコミュニケーションとして発信していく、そんな企業経営が必要じゃないかと思う。
野北:
アメリカはそういう方法をとっているんじゃないでしょうか。
ジョセフ:
たとえばテレビをデザインするとき、日本だといろんな機能をいれるからリモコンとかとても複雑になります。
アメリカの場合、もちろんインターネットとかいろんな機能が入っていますが、「これって本当にいるの?」と思うものは外して、値段を安くして買いやすくします。
車の場合、わたしは東京に住んでいるので何トンも運べるようなトラックはいりませんが、メーカーも私のような人をターゲットにしてトラックをつくっていません。アメリカの田舎に住んでいて、農業をやっている人向けに、そのトラックをマーケティングしているというわけです。それが大事なことですよね。
イラリア:
イタリア人も同じ考え方があります。いらないところは取って、簡単にして、必要な機能を入れています。それにプラスして、イタリアでは特にかっこよさも重視されますね。
野北:
まず、組織としてみるとマーケティング部がない、社内にデザイナーがいないという日本企業もまだまだいらっしゃると聞きます。そういう状況だと、デザインの話を社内で議論するにしてもなかなか共通言語・共通理解を得られないということも多くありそうですね。というか、そもそもデザインという発想に至らないこともあるのでは。
イタリアは、経営者/CEOのほかにCDO(Chief Digital Officer)やCMO(Chief Marketing Office)はいますか?
イラリア:
いますよ。
前職ですが、設計部、マーケティング部、デザイナーという肩書ではないんですが、そのようなポジションの人が一緒に働いていました。マーケティング部はターゲットと、どんな商品をつくるか考えて、設計部が設計して・・・
濱口:
そうならないと、選ばれないよね。
言い方は悪いけど、誰にでも選ばれようとする製品がたくさん売れる時代ではない。ぼくら広告会社もそう。「なんでもやりまっせ」ではなく、「これをやりたいんです」をこちらから発信していかないと。ぼくたちは製品がないので、どう表現するかがデザインの部分。
デザインされた良質なコンテンツは文化になる
イラリア:
広告についていうと、イタリアと日本とはちょっと違うと思います。たとえばテレビCMをみると、日本の広告はストーリーみたいです。イタリアはストーリーではないですね。ただ、こういう商品があって買ってください、のような感じです。最近はちょっとストーリーが入ってきていますが・・・
ジョセフ:
アメリカの広告はストーリーが入っていると思います。たとえば、昔iPhoneのCMがあって、音楽聞きながら歩いているシーンがすごく印象に残っていて、「あのひとiPhoneもってる!」と思うようになったり、実際に私自身もiPhoneがほしくなりました。親に「買って買って」とねだりましたね。買ってくれなかったけど・・・笑。
ターゲットに対してストーリーは大事です。
イラリア:
ヨーロッパはアメリカから色々な影響を受けていますが、iPhoneのCMもイタリア語ではなく英語でした。なぜかというと、英語はかっこいいですから。
野北:
イタリア人にとって、英語はかっこいいですか?
イラリア:
はい。たとえばネスプレッソですが、CMでアメリカ人のジョージ・クルーニーが英語で会話をしながらネスプレッソを飲んでいるからこそ、「私も!」となります。
野北:
(広告を見ながら)自分を投影してるんですね。
☆余談☆ちなみにジョージクルーニーのCMは日本でも英語に字幕付きで流れていました!^^
濱口:
日本はもともと広告の水準が高いと思っていて、なぜかというと以前はCMなど広告料が高かったから。莫大な広告料がテレビや新聞社に収入として入るので、コンテンツの質があがるんです。メディア会社が儲かる、コンテンツ制作会社も儲かる、スポンサーもモノが売れる…と三方良い関係がしばらく続いた。
ぼくは、デジタルの時代になってもそういう良い関係をつくっていくのが広告会社の仕事だと思ってる。でも広告って嫌われてるじゃない?それは良い広告じゃないから。コンテンツがおもしろくないということ。
野北:
よく「ウザい」って言葉がでてくるのは、「ほしくないのに、全然関係ないのに追いかけられる」という印象があるからじゃないかと。デジタルマーケティングとしてそれをやってしまっているケースも見受けられる。
ジョセフ:
ECサイトで一回クリックしたら、その商品が何回も広告で出てきますよね。ときどきジャマになります。
野北:
本当は、広告ってもっと「こうなったらいいな」ってワクワクするものじゃないですか。さっきのiPhoneみたいに。ぼくたち広告会社が、そういうものをちゃんとつくらないといけないですよね。
ジョセフ:
そのiPhoneのCMは、おもしろかったから見たんです。コンテンツがよかったら見ると思います。
イラリア:
サムスンのCMで、すごくテクニカルのことについてプッシュするものがありました。iPhoneは逆です。「iPhoneをもっているとかっこいい」というイメージをプッシュしている感じがします。それぞれターゲットを選んでコンテンツをつくることが大事だと思います。
濱口:
だんだんスティーブ・ジョブズの「デザインは機能だ」という言葉に近づいてきた気がするね。製品をつくってるんじゃなくて文化をつくってるんだ、っていう。
で、文化をつくるためにはマーケティングが大事。
野北:
じゃあ、結論として「ジョブズを読め」ってことですかね!
一同:
笑
野北:
振り返ると、多機能が悪いということではないんですよね。多機能を求める人たちに伝えるメッセージやコンテンツを出せば。
ターゲットに対して、しっかりメッセージやコンテンツを設計する。それがマーケティングとデザインの関係性なんじゃないでしょうか。
ジョセフ:
うまく言えませんが、本当に良いデザインは、デザインについてなにも考えないです。誰がデザインしたのか、どうデザインしたのか・・・良いデザインはそんなことを考えないと思います。
野北:
「ここがダメ」「使いやすい」とか考えるまでもなく、なにも考えずにスッとできてしまうのが良いデザインかもしれませんね。
イラリア:
プラス、かっこいいは必要です・・・
一同:
笑