Bigbeat 2017.02.20 あのひとはいま


(2015.7.31公開)
ビッグビートは、新卒採用を開始して16期目、
現在2016年度の新卒採用を進めています。
今回は特別企画として、新卒採用第一号で現在はそれぞれの道で活躍されている
鐘ヶ江さん&中丸さんのおふたりと濱口が対談。
当時のこと、西葛西のこと、いまだから言えることを、語っていただきました。
 

2000年ビッグビート入社。営業として外資系クライアントを中心に担当。多くの広告やイベントを手掛け、広告賞も複数受賞。得意の英語を活かして活躍ののち、外資系広告代理店に転職。現在は、株式会社グロッシーで「フードソムリエ」サイトの企画運営や食にまつわるプロモーション、コンサルティング、一般社団法人日本味育協会の食育事業などに携わる。
フードソムリエ »
一般社団法人 日本味育協会 »
 

2000年ビッグビート入社。人事部長の後輩という立場を利用し、手紙で直訴して入社。2003年 青年海外協力隊員としてタンザニアに赴任。昏睡強盗にあうなどの経験を積みながら現地の若者にコンピュータの基礎を教えた。帰国後は鍼灸師に転身、現在は自身の治療室「大倉山公園前はりきゅう治療室」を経営、西洋医学と東洋医学の調和を目指し切磋琢磨の日々をおくる。
大倉山公園前はりきゅう治療室 »
 

濱口―

当時は新聞に求人広告を出したんだっけ。
即戦力が欲しかったのでキャリア採用をメインにしていて、
小さく「新卒も可」と書いていたのを見つけてくれたんだよね。

鐘ヶ江―

就職超氷河期と言われていた時代ですよ。
私はホテルやエアライン、サービス系を目指して就活していて、
歩きすぎてヘルニアになりました。

中丸―

僕も、ネクタイ型にあせもができた。

濱口―

そのころはキャリア採用もなかなかうまくいかなくて、
うちもよっぽど困ってたんだろうね。

中丸―

どういう意味ですか!でも本当、僕も「これで終わりにしたい」と思ったのが決め手です。

濱口―

社長の魅力が、とか言えよ……

鐘ヶ江―

私は別の内定をもらっていたけど、ビッグビートの旅行という仕事と社員の人柄に惹かれて、
最初の面接を終えてすぐに「もうここにする」って母に宣言してました。
(※編集部注:ビッグビートでは当時旅行業も大きく扱っていた)

 

濱口―

しかし勇気あるね。まだベンチャーで5年目、社員十数名の会社に入社を決めるって。

中丸―

実は、大学時代に「ベンチャー企業」の研究をして論文書いたりしてたんです。
だからそれほど違和感なかった。

濱口―

そうなの?初めて聞いた。

中丸―

ベンチャーのいいところはなんでもやるところ。
朝のトイレ掃除から(※編集部注:当時を知る社員によると絶対やってない、とのこと)
机拭いて掃除機かけて。勉強になりました。

鐘ヶ江―

掲載誌も送らないで持っていく、年賀状は手書きで、とかね。
あの頃はもちろん(?)研修などなく、入社していきなり現場でOJTの日々でしたよね。
毎日怒られてた気がする。

中丸―

鐘ヶ江さん、よく泣いてたよね。

鐘ヶ江―

最初は請求書が何なのかすらよくわからなかったし、いまでは考えられない失敗をしてましたね。
がむしゃらに覚えて何とかできるようになったと思ったら、そのうち後輩ができて。
後輩指導に悩んで、よくトイレで涙をぬぐったわ。
でもそこで学んだことが、いまもいろいろと活きている。

あのころ、の鐘ヶ江さん(と濱口)

中丸―

思い出の仕事の話を。あれは入社三年目を迎えたころ、いろいろあって一度外れたクライアントを、
改めてメイン担当としてチャレンジする機会をいただきました。

そのクライアントが、業界の一大イベントに一番大きいブースで出展することになり
イベントの企画運営のプロデューサーを任せていただいたんです。

そして企画準備から必死で取り組んでイベント当日を迎えました。
でも、現場運営がなかなかうまくいかず、ミッション達成も危ぶまれました。
すごく焦りましたね。

そして3日間の会期中2日目に、あろうことかコンパニオンスタッフを怒らせてしまった。
ミッション達成には最終日にとにかくスタッフ一丸で頑張るしかないのに、
僕のせいで反乱が起きてしまったんです。

慌てて上司に相談して「とにかく土下座して謝って、何とかやるしかない」と腹を決めて
最終日の早朝、反省してたくさん考えながら現場に向かいました。

すると運営パートナーのAさんが「中丸さん、大丈夫。私に任せて」と颯爽と突然現れた。
前日のうちに上司が声をかけていて、忙しいのに助っ人として来てくれたんです。
そして次々とビッグビートの社員も、全員総出で来てくれた。

それからみんなで必死になって、クライアントも一緒に汗をかいて資料を袋詰めしてくれたりして。
絶望視されたミッションが、結果的に達成できたんです。

もうその日のビールの味は忘れられません。

濱口―

あの時は、会社の電話の受話器をすべて外して行ったなあ。

鐘ヶ江―

そんなことありましたね。
「川を越えるぞ=西葛西から都心へ!」っていうオモイで団結していたというか、みんなひとつだった。

あのころ、の中丸さん

濱口―

西葛西、その後一年待たずに脱出(?)できました。

鐘ヶ江―

この間思い出の「シシリア」に行きました。懐かしいし美味しかった!
(※編集部注:西葛西イタリアンの名店)

濱口―

いいね。もう行けない名店もたくさんあるけど……
(※編集部注:西葛西名店関係者のみなさま、当時はスミマセン)

鐘ヶ江―

中丸がお好み焼き屋さんで●●したのもその周辺でしたよね。
社長のおニューのカシミヤコートも●●されて。
(※編集部注:伏せさせていただきます)

濱口―

確か、買ったばかりのBMWを中丸にぶつけた、と告白されたのもあの日だったような。

中丸―

社用車だから乗ってもいいって思ってたんですよね……ちょっと擦ってしまってスミマセン。
でも、キレイに直ってましたよね。

濱口―

擦ったんじゃない、ぶつけて思い切りフェンダーがへっこんでた。
しかも、悔しいからしばらくそのまま乗ってやった。

鐘ヶ江―

あのときは確か、社内イベントの買い出しで。

中丸―

「Bar Bigbeat」をオフィスでやったね。

濱口―

俺の机をバーカウンターにして。次の日の朝、中丸が机のしたで落書きだらけのひどい顔で寝てた。

中丸―

……油性マジックで書いたの、社長です。

「Bar Bigbeat」

鐘ヶ江―

そういえば、擦り切れたネクタイ事件もあったよね。
毎日同じネクタイをしてるもんだから、見かねて社長が営業同行の帰りに三越で買って
「これに変えろ」って。

中丸―

それ、この間思い出したところです。
いま自分の治療院には特にユニフォームがないんですが、スタッフがずっと同じ白衣で
もう擦り切れてしまっていて。
見るに見かねて、買ってあげました。社長、その節はありがとうございました。


濱口―

(爆笑)そんな中丸くんも、いまは鍼灸師で経営者!

鐘ヶ江―

ビッグビートをやめて、タンザニアに行くって聞いたときはびっくりしたよ。

中丸―

青年海外協力隊に応募して、たまたま受かって行けることになったから。



現地の若者にコンピュータの基礎を教える中丸さん

濱口―

もともと行きたいって言っていたよね。

中丸―

学生のころからインドでボランティアをしたりしていて、
いつか協力隊として行ってみたいと思ってました。

2年経ったら会社員に戻るつもりだったけど、帰るころには鍼灸師の道を選んでいましたね。
日本に戻ってから企業で勤めて、出世して定年を迎えて、というイメージが持てなかった。
自分がおじいちゃんになっても定年とか言わずに、ずっと働いていたいと思ったんです。

経験を積んで熟練していく仕事、それが鍼灸師でした。
タンザニアののんびりした風景の中で「将来青空鍼灸したいな」ってビジョンが描けたんですね。

濱口―

20代でそこまで考えられるとは。
鐘ヶ江さんは、いまのしごとを目指すきっかけは?

鐘ヶ江―

ビッグビートをやめたのは、英語を活かした仕事に挑戦してみたいと思ったからです。

そうして転職した外資系の広告代理店は、規模も大きく社内で役割が分業されていて、
ビッグビートのように自分で全部を見るということができなかった。
また社員が何百人もいたからか、トップのオモイもなかなか伝わらず、
少しイメージと違いました。

それでも、TVCMの仕事をしたり新しいことも経験できて楽しかったですよ。
けど、やっぱり忙しい毎日はあまり変わらなくて、
生活も不規則でいつも体調を崩していたんですね。

実は私、料理が好きだったんですけど、ビッグビート時代から平日料理をする時間もなくて
3食コンビニで済ませていたりしました。その頃からよく風邪をひいてましたね。
土日に静岡の祖父母のところへごはんを食べに行って、何とか保っていた感じ。

そしていつしか「食に関わるしごと」をしたいと思うようになり、
まずはフードコーディネーターの学校に通いました。
通いながら転職活動をしているときに「フードソムリエ」のサイトに出会ったんです。

食へのオモイに共感したのと、これまでの経験を活かせる仕事だったので
「これだ!」と速達を出して、今に至ります(笑)

社員旅行先の祝島で放牧豚とふれあう鐘ヶ江さん。社員旅行では毎回生産者巡りをするそう。

濱口―

ふたりとも、立派に自ら切り開いていっているよね。
巣立ったあともこうして立派にそれぞれの道を歩んでいる姿が見られることや
近況を報告しあえるのはうれしいです。でも最初の会社をやめるって勇気いるよね。

鐘ヶ江―

やめるとき、最後に社長と納得がいくまで話ができたので、本当によかった。
いまもビッグビートのサイトや西タイを時折見ています。
どんどん大きな会社になっているのを感じてうれしいんですよ。
あのときの後輩も、こんなに立派になって、と感慨深い。

濱口―

好きな広告のしごとを、好きにやりたい、とBigbeatを初めて20年。
広告ビジネスは楽しいし、クライアントやパートナーさんとの出会いは
素晴らしい経験だった。

でも、新卒社員と学生の採用段階で出会って、泣いたり苦しんだりしながら
それぞれがたくましくなっていく姿をすぐそばでご一緒できたのが、
起業したことの一番の意味だったかも。

「関わったひとすべてがHappyを感じる」というオモイでずっとやってきて、
こうしてふたりの笑顔をみてやっぱりそう思った。

中丸―

社長、真面目ですね。

濱口―

うるさいよ。




濱口―

おしまいに、後輩たちにメッセージを。

鐘ヶ江―

忙しい毎日だと思いますが、やっぱり食がカラダをつくる。
身をもって体感しました(笑)カラダが資本です。
そして個性は隠さず、活かそう!

中丸―

僕はいま、さらに学校に通いながら鍼灸師としても経営者としてもやっています。
結構ハードですが、すごく楽。それも3年間のあの経験があったからだと思っています。
例えば移動時間の22分間にあれやってこれやって、とがむしゃらに考えてやったことが、
今役に立ってるんです。大変だったけど、やっぱり楽しかったな。
若者よ、ハードワーク!
 

鐘ヶ江―

中丸さん、社長にもひとこと。

中丸―

僕はいま治療室でスタッフを3人雇用していますが、ひとつわかったことがあります。

社長、経営のキモは、ヒトですね。
あと、首が回らなくなったら、いつでも相談にのりますよ。


Recommend
Ranking
  1. ハマロから新社会人のみなさんへ
  2. ”君は、どうしたい?” ~その身で語る2年目コンビの奮闘~
  3. 新卒採用、はじめました ~2025 spring~
  4. 「110%の男」が語る、オレ流仕事術|Sansan 松尾佳亮氏
  5. 2050年の仲間たちへービッグビート29歳、『はじまりの日』にルンさんと
Mail magazine