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2019 2019.07.17 パラレルマーケター 小島氏「選ばれるためのwho・what・how」



〈Bigbeat LIVE 登壇者インタビュー⑪〉
AWS(アマゾン ウェブ サービス)一人目の日本社員として「JAWS-UG(Japan AWS User Group)」というコミュニティを全国に広げたことで知られる小島 英揮さん。現在はパラレルマーケターとして複数の会社のマーケティングを様々な立場で支援されています。また、主宰するコミュニティイベントの開催地である高知までバイクを走らせ参加をするなど、仕事と私生活を混同した「公私混同」の働きを実践されています。
このような新しい働き方を実践しながら小島さんはマーケターとして、なぜ多くの企業から選ばれるのでしょうか。小島さんの「公私混同」のアイコンの1つであるバイクでお越しいただいた小島さんに、ビッグビート 濱口 豊が選ばれる秘訣を伺いました。
 

マーケティングで生きていくと決めたワケ



 パラレルマーケター 小島英揮さん 

濱口
小島さんは、新卒で就職活動をされたときに、マーケティングの職種採用にこだわられたそうですが、そもそもなぜマーケティング職に就こうと思われたのですか?
 
小島さん
両親が自営業だったことに起因します。親の働く姿が、僕には結構大変そうに見えたんですね。休みがあってもお客様が来れば店を開けるし、接客中は住居スペースに戻って来られないので、晩御飯も遅くなる。24時間働いている感じがありました。「すごすぎて、僕には到底できそうもない。だから自分は職人的なスキルを身に付けて、それを組織に買ってもらおう」というキャリア感を持つようになったんです。
 
そのスキルがなぜマーケティングだったのか。それは大学でマーケティングのゼミに入ったことが大きなきっかけでした。当時は、ちょうどマーケティングという言葉が一般に普及し始めた頃で、カッコよさそうに見えたんですよね。「マーケティング天国」というランキングを紹介するテレビ番組を見て、とても面白そうだと思ったこともあって。マーケティングでキャリアを作って行こうと決めました。
 
濱口
最初に入社されたのは、松下電器(当時)と富士通を株主に持つコンピュータ関連企業の株式会社PFU(以下、PFU)でした。PFUを選ばれた理由は?
 
小島さん
一番の理由は職種採用をしていたからです。今でもそうですが、日本の会社は文系、理系のような大きな分類で採用して、研修後に配属されるので、自分がどこに配属されるのか、全然コントロールできなかったんですよね。そんな中でマーケティング職を募集しているPFUを見つけた。それで受けてみたら、運よく受かったというわけです。
 
濱口
配属先では、思い描いていたようなマーケティングの仕事はできましたか?
 
小島さん
正確に言えば、入社前にマーケティングの仕事のイメージがしっかりと固まっていたわけではありませんでした。ただ幸運なことに、マーケティング組織が比較的小規模だったので、新卒社員でもプランニングから実行、更には客先プレゼンから広報的な仕事まで幅広く担うことができました。そこで得た経験は、間違いなく今のベースになっていると思います。
 
濱口
当時、何か失敗したことはありましたか?
  
 
  
 
小島さん
失敗だらけですよ。まず主力のハードウェアビジネスのような花形の仕事は回ってきませんから。私が担当したのは、社内で“チャーハン製品”と揶揄されるような、当時急速に成長し始めたインターネット関連市場向けに、急場しのぎ的に、事業部が持っている技術を色々かけ合わせた商品群。なかなかヒットしなかったですね。
 
あとは僕にとって十字架のような製品が2つあって。ひとつ目は「Happy Hacking Keyboard」という高級キーボード。大型のコンピュータを作ってきたPFUが急にこれを作っても、絶対に売れない、と僕は思いました。ふたつ目は個人向けスキャナーの「ScanSnap」。業務用の高速スキャナーを作っていたのに、突然個人向けを作るなんて、これまた絶対に売れない、と思ったんです。
 
でも蓋を開けてみれば、僕が絶対に売れないと思った2つの製品は大ベストセラーとなり、今のPFUを代表する製品になっています。これも大きな失敗ですよね。「バイアスをかけて物事を見てはいけない」ということを痛感しました。
 
濱口
近くにいると思い込みが入ってしまいますよね。
 
小島さん
当時はまず顧客選定から間違っていると思っていましたから。これまで会社に接点のない人を、お客様しようとするのは間違っている、と。でも、そこにニーズがあって、提供できるテクノロジーがあるなら“Why not?”なんですよね。あの2つの製品は、お客様が何を言っていて、何を欲しがっているのか、お客様をよく見て、ちゃんと分かっていた。普通は事業ドメインを変えずに“ちょっといいもの”とか、“ちょっと安いもの”を作りがちだけど、お客様をちゃんとわかっていれば、ドメインを変えても成功し得るということを学びました。

 

「うん」と言わせるために、誰に・何を・どう伝えるか



 
濱口
PFUから転職されようと思ったきっかけは?
 
小島さん
僕が入社して間もなくバブルが崩壊して、新卒採用がストップしていたんですね。営業職であれば営業成績で自分のパフォーマンスを客観視しやすいですが、マーケティング職では僕が一番若手の部類だったので比較対象がおらず、自分がマーケティングでどの程度のランクにいるのか知ることができません。僕はいわゆる偏差値世代なので、“外のものさし”がないのはとても不安でした。

次に入ったのはジェットフォームという、後にアドビに買収される外資系のソフトウェア会社だったのですが、なぜ再びIT系に行ったかというのは、一番求人が多かったからというシンプルな理由です。日本の会社はバブル崩壊によるリストラが真っ盛りで、募集の口もありませんでしたし、なんとなく英語をやっておきたくて外資系に行きたい気持ちはあったものの、当時外資系に入るには英語ができていないといけません。英語ができない僕でも入れる外資系の会社ということで、日本法人の立ち上げチームにマーケティングリードとしてジョインしました。
 
濱口
なるほど。そこでのお仕事はどんなものでしたか?
 
小島さん
マーケティングリードと言ってもマーケティング担当は僕だけでしたから、価格付けをしたり、日本の製品名を決めたり、パートナーへ説明したり、プレスリリースを書いたり…カナダが本社でしたので、カナダに行って交渉したりもしました。英語をやらざるを得ない環境で、人前でプレゼンをするようになったのもその頃からです。濱口さんは“マーケティングは経営の最高の機能だ”とおっしゃっていますが、まさに「誰に(Who)、何を(What)、どう(How)売るか」というのを考える事業そのものをやっていました。小さいチームのマーケティングは分業になっていないので、この視点で考える時間をいただけたのは、僕にとって非常にいい経験になりました。
 
濱口
製品を作るのと金勘定以外は、全部やるということですよね。
 
小島さん
そうです。僕のマーケティングは製品をいじることはあまり考えないんです。カナダで作られたものを日本に持ってくるためのアジャストはするけれど、製品そのものを大きく変えることはできません。そこは動かせないパラメーターとして、それ以外でどう勝負するかを徹底的に考えるようになりました。
 
濱口
英語もそこから本格的に身に付けられたんですもんね。
 
小島さん
会話ができるレベルではなくて、仕事を前に進めるために、相手に「うん」と言ってもらわなきゃいけない。ゴールを決めてストーリーを組み立てることをやらざるを得なかったし、結果的にこれが早く英語を習熟する近道だった気がします。日常会話よりもビジネス会話のほうがボキャブラリーは狭くてもいいんですよね。ゴールが決まっていて、最後にアグリーしてもらったかどうかだけが大切なので。だから今でも海外の人と食事に行くのは苦手ですよ。魚の説明をしようとすると、全部“kind of fish”になっちゃいますから(笑)
 
濱口
小島さんは普段から言語化がうまいじゃないですか。そこに英語が大きく寄与しているように思うのですが、いかがですか?
 
 
 
小島さん
ミーティングに出てもらって「うん」と言ってもらうための準備をしていると、“誰に・何を・どう伝えるか”が決まるんですよね。これはマーケティングそのもの。英語は単語数を少なく話す言語ですから、本質的なところをシンプルに表現する練習ができたのは、よかったと思います。今でもそれはやっていますよ。日本語だと、もう少し丁寧に、響きやすく、という配慮はしていますが、“誰に・何を・どう伝えるか”と考えるのは、英語でも日本語でも同じように意識しています。
 
濱口
小島さんはプレゼンも上手ですよね。プレゼンのスキルはどこで磨かれたのですか?
 
小島さん
考えてみれば、大学やPFU在籍時から、同期でキャンプやBBQに行くといった仲間うちの集まりを企画して幹事になることはすごく多かったです。自分がやりたいことを先に決めて、誰を呼びたいかを決めて、その人が興味を持ちそうなアプローチを考えて。誰もが来るようなイベントはやらないんですよ。誰に来てもらったら面白くなるのかというイメージがあるので、その人だけに響けばいい。それが相手に「うん」と言ってもらうための予行演習にはなっていたのかもしれませんね。
 
濱口
人を集めるのが、もともとお得意だったんですね。
 
小島さん
得意というより好きなんです。人が企画したものに行くより、自分好みのものに来てもらったほうが、コントロールできる幅が大きいじゃないですか。幹事をやっていればコミュニティができるわけではないけれど、オーガナイザーのスキルは、幹事の経験で養われた気がしますね。 

 

小島さんが選ばれるのは、”誰に選ばれたいか”を明確にしているから

 
 
 
濱口
ジェットフォームが2001年にアドビに買収されて、その後2009年に日本社員第1号としてAWSに入社。2016年にパラレルマーケターとして独立されたわけですが、なぜパラレルマーケターになろうと決めたのですか?
 
小島さん
AWSはいろいろな業種で幅広く使われているクラウドサービスなので、会えるお客様の幅がすごく広くて面白いんですね。これと同じ幅でビジネスをしている会社を見つけられなかったというのが、パラレルマーケターという働き方を選んだ理由のひとつとしてあります。もうひとつの理由が、AWSでもらっていた額と同等の給与(株の支給も含む)を、一社で維持できる会社が非常に限られていたからです。しかもその限られた会社は、すでに形ができあがっていますから、給与は同じでもやることがぎゅっと小さくなってしまうんですよね。それだとAWSを辞める意味がない。そこで、いろいろ考えた結果、“流しのCMO”になって、いくつかの会社で僕のスキルをシェアしてもらえばいいんじゃないの?という発想に至りました。
 
濱口
それをやろうと思って実現できるのがすごいですよね。
 
小島さん
そこは戦略を立てましたよ。まず、僕が行きたい分野を決めました。具体的には、AI・AR/VR・IoT・決済です。そして僕はAWSを8月末に辞めてすぐ、「年内は働かない。次は複数の会社で働きたい」と公言したんです。すると僕が辞めたのを面白がって、いろいろなイベントに呼ばれるようになった。そこで“行きたい分野”と“複数の企業で働きたい”というのをずっと言い続けていると、その筋から話が来るんですよ。それを束ねて2017年の1月に、名刺がズラッと並んだ写真を出して、「この会社でやっています」と公表した。面白いことに、名刺が並んでいるのを見ると、「これだけあるならうちの名刺もここに差し込めるのではないか」と思ってもらえるんですね。こうやって向こうから話が来るようになると、自分でコントロールして選ぶことができるようになります。Stripeだけは外資で僕を見つけるはずがないので、AWSのツテをたどって自分からドアノックしましたけどね。
 
濱口
一般的に考えると、面白くなさそうでも安定を求めて、給与をたくさんくれる会社に行くと思いますけど、そうじゃないところがすごいですよね。
 

 
小島さん
僕はアドビでもAWSでもやっていたことはそんなに変わらないのに、IT業界全体で知られるようになったのは、AWSに入ってからなんです。それはアドビとAWSで携わっていたのマーケットの違い。成長マーケットにいたほうが、ヒットしやすいじゃないですか。#クラウド・#AI・#コミュニティマーケティングと検索キーが増えたからこそ、見つけられやすくなっているんですよね。
 
なぜそんなことをしているかと言うと、僕が70歳まで年金支給が始まらないと考えているからです。これ、本当。もし会社を辞めようと思ったときに、あと5年で年金がもらえるという状況だったら、濱口さんがおっしゃった逃げ切り路線をとった可能性は十分ありますよ。でも現実はあと20年やらなきゃいけないんですよ。20年も第一線で若い子とやりあって勝つためには、エッジなところでやらないと。
 
濱口
では、企業がこれからの時代に選ばれるためには、何が必要だと思いますか?
 
小島さん
その質問に明確な答えはできませんね。なぜなら、“誰に”選ばれるかが入っていないから。誰に選ばれたいのかわかっていない企業は、誰からも選ばれませんよ。まずは自分が誰に選ばれたいかを理解するところから始めないと。
 
濱口
検索キーを自ら決めておくということですね。
 
小島さん
そうです。検索キーとは、選ばれたい人の興味・関心であり、課題でもある。その検索した先でヒットするようにしておくことが大切です。
 
濱口
では最後に、今年のBigbeat LIVEで来場者に伝えたいことは何ですか?
 
小島さん
前回に引き続き、僕は行動変容を起こすことがマーケティングだと思っているので、僕らのセッションに出た人に何かしらの行動を起こしてもらうことがすごく大事だと考えています。
 
そしてセッションでは、マーケティングにまつわる都市伝説を、登壇者のみなさんと一緒に暴いていく予定です。「マーケティングでよくある手法だけど、それって本当に意味あるんだっけ?」と、マーケターの価値観に揺さぶりをかけたいと思っています。揺さぶられると、信じているものが崩れるので、行動に移しやすいんですよ。そんな体験をされたい方には、ぜひご来場いただければと。
 
濱口
当日を楽しみにしています。ありがとうございました。

 


[撮影]野村昌弘
[執筆]野本纏花
 
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